坂本龍馬

坂本 龍馬の名言集

江戸時代末期の志士、土佐藩郷士。

諱は直陰(なおかげ)、のちに直柔(なおなり)。通称は龍馬(竜馬)。 他に才谷 梅太郎(さいたに うめたろう、さいだに うめたろう)などの変名がある。

土佐藩郷士の家に生まれ、脱藩したあとは志士として活動し、貿易会社と政治組織を兼ねた亀山社中(のちの海援隊)を結成した。

薩長同盟の成立に協力するなど、倒幕および明治維新に関与した。

大政奉還成立の1か月後に近江屋事件で中岡慎太郎、山田藤吉らとともに暗殺された。

暗殺者は諸説あるが、京都見廻組という説が有力である。

1891年(明治24年)4月8日、正四位を追贈される。

わずかに他人より優れているというだけの知恵や知識が、この時勢に何になるか。そういう頼りにならぬものにうぬぼれるだけで、それだけで歴然たる敗北者だ。

金よりも大事なものに評判というものがある。世間で大仕事をなすのにこれほど大事なものはない。金なんぞは、評判のあるところに自然と集まってくるさ。

事は十中八九まで自らこれを行い、残り一、二を他に譲りて功をなさむべし。

人間、不人気では何も出来ませんな。いかに正義を行なおうと、ことごとく悪意にとられ、ついにはみずから事を捨てざるをえなくなります。

感涙とどめず、遥か江戸の地より拝し、龍馬かならずこの恩に報うべし、と天地神明に誓ふ。

天下において、何事かを成そうとする者は、膿も良く腫れないうちには針で患部を突くことができないのと同じで、時期を判断することが大切です。

国を開く道というものは、戦いをする者は戦う、修行する者は修行する、商売をする者は商売するというように、銘々が自分のことをやり抜くほかにはない。

世の人は、我を何とも言わば言え。我が成すことは我のみぞ知る。

人生は一場の芝居だというが、芝居と違う点が大きくある。芝居の役者の場合は、舞台は他人が作ってくれる。

なまの人生は、自分で自分のがらに適う舞台をこつこつ作って、そのうえで芝居をするのだ。

他人が舞台を作ってくれやせぬ。

われ、はじめて西郷を見る。その人物、茫漠としてとらえどころなし。ちょうど大鐘のごとし。小さく叩けば小さく鳴り。大きく叩けば大きく鳴る。

日本を今一度せんたくいたし申候。

慎重もええが思いきったところがなきゃいかん。慎重は下僚の美徳じゃ。大胆は大将の美徳じゃ。将か士かは人のうまれつきで決まるものだがお前は大将修行をやれ。

恥といふことを打ち捨てて世のことは成るべし。

奇策とは百に一つも用うべきではない。九十九まで正攻法で押し、あとの一つで奇策を用いれば、みごとに効く。奇策とはそういう種類のものである。

天下のために働こうとして、土佐藩から一銭一文の資金も援助されることなく、志のある若者たちを50人も養おうとすれば、一人につきどうしても60両は必要となることから、利潤を求めなければなりません。

人の一生というのは、たかが五十年そこそこである。いったん志を抱けば、この志に向かって事が進歩するような手段のみをとり、いやしくも弱気を発してはいけない。たとえ、その目的が成就できなくてもその目的への道中で死ぬべきだ。生死は自然現象だから、これを計算に入れてはいけない。

男子は生あるかぎり、理想をもち、理想に一歩でも近づくべく坂をのぼるべきである。

俺は議論はしない、議論に勝っても、人の生き方は変えられぬ。

偏見を持つな。相手が幕臣であろうと乞食であろうと、教えを受けるべき人間なら俺は受けるわい。

俺は着実に物事を一つずつ築きあげてゆく。現実に合わぬことはやらぬ。

人の世に道は一つということはない。道は百も千も万もある

丸くとも一かどあれや人心あまりまろきはころびやすきぞ。

何の志も無きところに、ぐずぐずして日を送るは、実に大馬鹿者なり。

義理などは夢にも思ふことなかれ身をしばらるるものなり。

雨が降ってきたからって走ることはない。走ったって、先も雨だ。

今は力を培養するときだ。その時機を辛抱できぬのは男ではない。

何でも思い切ってやってみることですよ。どっちに転んだって人間、野辺の石ころ同様、骨となって一生を終えるのだから。

古来、英雄豪傑とは、老獪と純情の使いわけのうまい男をいうのだ。

世の既成概念を破るというのが、真の仕事である。

疲れちょると思案がどうしても滅入る。よう寝足ると猛然と自信がわく。

人間、好きな道によって世界を切り拓いていく

人として生まれたからには、太平洋のように、でっかい夢を持つべきだ。

人間というものは、いかなる場合でも、好きな道、得手の道を捨ててはならんものじゃ。

相手を説得する場合、激しい言葉をつかってはならぬ。結局は恨まれるだけで物事が成就できない。

この数年は東奔西走の日々を過ごし、たまたま知人と出会っても、相手に迷惑がかかるので他人のふりをした。父母の国を思わない者はいない。だが、望郷の思いを消し去ろうとしているのは、情に流されることにより長年秘めていた志が無になることを恐れたからだ。

私が長生きすると思われても無駄なことだと思います。とはいえ、普通の人のように簡単には死にません。私が死ぬような日には、天下が大混乱となり、たとえ生きていても役には立たず、存在したとしても用がないような状態にでもならない限り、なかなかこすい嫌な奴で死にはしません

人間の一生で合点のいかないことが多いのは当然であり、運が悪ければ風呂から出ようとして転び、金玉を潰して死ぬという不運に見舞われる者もいる。そんな者に比べれば、私などは運が強く、どれだけ死にそうな場面に遭遇しても死ぬことはなく、たとえ自分から死のうと思っても生きなければならない状況になってしまう

この世に生まれたからには、己の命を使い切らんといかん。使い切って…生涯を終えるがじゃ。

初対面のとき、これはかなわないと思う人物がいたら、その人物が女と寝ている姿を想像すればいい。

以上八策は、方今天下の形勢を察し、之を宇内き、一大英断を以て天下と更始一新せん。

逃げ路があるかないかということは天が考えることだ。おれたちは、とにかく逃げることだけに専念すればいい

一生に一度ぐらい手品もいいだろうが、物事にゃ実がなくちゃ人はついてこない。

他人の命は他人様それぞれの料簡で始末すればいいが、俺の命は俺の一存で成改できる。

見まわしたところ、それぞれ優れた面魂の男ばかりだ。一片の侠気義心のために死をも辞せぬのが諸君であろう。しかし、それは所詮はおのれ範囲を出ぬ。心を変えろ、心を。日本を背負う気になってみろ。その気になって背負えば日本などは軽いものだ。いやそれがむしろ悲しい。病み呆けた老婆よりも軽い。

世に生きものというのは人間も犬も虫もみな同じ衆生で上下などはない。

自分の防衛に汲々としているようなことでは大事が成せるか。

生きるも死ぬも物の一表現に過ぎぬ。いちいちかかずらわっておれるものか。人間、事を成すか成さぬかだけを考えておればよい。

四、五十人も人数が集まれば一人ぐらいは異論家はいる。いるのが当然でもある。その一人ぐらいの異論を同化できぬ己を恥じろ。

戦わずして敵の不意を誅するのが、上乗の戦さというものである。どうすれば戦わずして勝ちうるか奇計異術では出来ない。誠をもって押してゆく以外にない。

人よりも一尺高くから物事を見れば道は常に幾通りもある。

土佐の芋掘りなどと言われ、次男という居候の身に生まれ、一人で天下を動かすことができたとしても、これもまた天の決めたことです。このようなことを言ったとしても、つけあがることもなく、ますます泥の中に住むシジミのように、常に土に鼻先をつけ、砂を頭にかぶっているような生き方を続けたいと思います。

養子となる者へも伝えてほしいのですが、土佐で流行している長い剣は、すでに伝えているように一対一の喧嘩や、昔話の宮本武蔵の試合などには非常に向いているのですが、現代の戦場では無用です。銃を主要兵器とする場合、刀がなくともよいと考えるべきです。

悲しむべきは池内蔵太のことです。9度も戦場に出て、常に配下の者たちを率いて戦い、一度も弾丸に当たらなかった幸運な者が、一度だけ私たちが購入したユニオンという西洋式の船に乗ったところ遭難してしまいました。五島列島の塩谷崎において船が大破してしまい、5月2日早朝、死にました。人間の一生は、実になお夢のようだと思います。

だいたい話と実際は違うものですが、戦闘では特にそういう傾向があります。

そのことは我が胸に成算がある。やろうと思えば、世に出来ぬことはない。

粗末な服では人に笑われる?それがおもしろいじゃないか。

ご相談被遣時は、海援隊一手を以て大樹参内の道路ニ待受。

私ももしも死ななんだりや、四五年のうちにハかへるかも、梅雨の命ハはかられず。

とんとんと登る梯子の真中程で国を去って薩摩同志楼に上がる貧乏の春辛抱しゃんせと目に涙。

当時二ても土佐国ハ幕の約にハ立不甲と相楽ミ居甲候。

業なかばで倒れてもよい。そのときは、目標の方角にむかい、その姿勢で倒れよ。

財政の独立なくては、思想の独立もなく行動の自由もない。

人おのおのが志を遂げられる世の中にしたいものだなぁ。

道は長い。けいこつに果てるな。事にやぶれれば腹なんぞ切らずに命のつづくかぎり駆けて戻って来い。

男は喧嘩をするときには断乎喧嘩をするという大勇猛心をもっておらねば、いかに各論卓説を口にしていても、ひとは小才子としか見てくれぬぞ

男はどんなくだらぬ事ででも死ねるぞという自信があってこそ、大事を成し遂げられるものだ。

先人の真似ごとはくだらぬ。

男子の志は、簡明直裁であるべきだ。

人間はなんのために生きちょるか知っちょるか?事をなすためじゃ。ただし、事をなすにあたっては人の真似をしちゃいかん。

人の諸々の愚の第一は他人に完全を求めるというところだ。

一つの概念をしゃべるとき、その内容か表現に独創性がなければ男子は沈黙しているべきだ。

わしゃーもーだめだ、頭をやられとる、お前はだいじょうぶか?

土佐で生まれた者が他藩に仕え、そしてまた土佐藩に仕えたとしても、天下のためを考えればおかしなことではありません。女性が二君に仕えることを否定されるのと同じように、志士まで二君に仕えることを非難されたら、自分の考え方を貫くことができません。そのため、浪人するにせよ、土佐藩を助けるにせよ、二君に仕えるか否かという論理を捨てなければ自分の考えを実行することはできません。

暗ければ、民はついて来ぬ。

時勢は利によって動くものだ。議論によっては動かぬ。

おれは落胆するよりも、次の策を考えるほうの人間だ。

夢中で日を過ごしておれば、いつかはわかる時が来る。

人間に本来、上下はない。浮世の位階というのは泰平の世の飾りものである。天下が乱れてくれば、ぺこぺこ剥げるものだ。をなさんとすれば智と勇と仁を蓄えねばならぬ。

人というものは短気を起こし、滅多やたらに死ぬものではない。

世の中のことは、月と雲のようにどうなるかわからず、おかしいものである。

このごろは天下無二の軍学者勝麟太郎という大先生に門人となり、ことのほかかわいがられいて、先きゃくぶんのようなものになり、すこしエヘンにかおしてひそかにおり申候。達人の見るまなこはおそろしきものとや、つれづれにもこれあり。猶エヘンエヘン、かしこ。

地球を動かしているのは、思想ではなく経済だ。

志さえ持てば、前身がなんであろうとかまわぬことだ。

戦場といっても、平和な時代に想像するよりも、意外に慌ただしく混乱するものではありません。たとえ敵が身近に接近しても、実戦の心得があれば冷静に銃に弾を込めることもできるものです。

人の世に失敗ちゅうことは、ありゃせんぞ。

世に生を得るは、事を為すにあり。

おのおの、その志のままに生きよ。

英雄とは自分だけの道を歩く奴のことだ。

意味さえわかれば、よいではないか。

人の運命は、九割は自分の不明による罪だ。

男の不幸は、馬を得るか得ぬかにある。

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