松下幸之助

松下 幸之助の名言集

知識なり才能なりは必ずしも最高でなくてもいい。しかし、熱意だけは最高でなくてはならない。

よいと考えたことは、考えているだけではなんの意味もない。言うだけでも同じこと。実行して初めて本当に考えていたことになる。

世間には、大志を抱きながら大志に溺れて、何一つできない人がいる。言うことは立派だが、実行が伴わない。世の失敗者には、とかくこういう人が多い。

失敗の原因を素直に認識し、「これは非常にいい体験だった。尊い教訓になった」というところまで心を開く人は、後日進歩し成長する人だと思います。

これだけはどこにも負けない、というものをもつ。余力ができて、手を広げたいときでも、ぐっとがまんして、今やっている仕事を突き進め、世界に通じる水準まで高めていくほうがいい。

成功するまで続けず途中であきらめてしまえば、それで失敗である。

会社が上手くいかないということは、社長の意図するところに大きな欠陥があるからで、他人を責める前に、まず自らを強く責めなければならない。

自分には自分に与えられた道がある。天与の尊い道がある。どんな道かは知らないが、他の人には歩めない。自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがえのないこの道。広いときもある。狭いときもある。のぼりもあれば、くだりもある。坦々としたときもあれば、かきわけかきわけ汗するときもある。この道が果たしてよいのか悪いのか、思案にあまるときもあろう。なぐさめを求めたくなるときもあろう。しかし、所詮はこの道しかないのではないか。あきらめろと言うのではない。いま立っているこの道、いま歩んでいるこの道、とにかくこの道を休まず歩むことである。自分だけしか歩めない大事な道ではないか。自分だけに与えられているかけがえのないこの道ではないか。他人の道に心を奪われ、思案にくれて立ちすくんでいても、道は少しもひらけない。道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。心を定め、懸命に歩まねばならぬ。それがたとえ遠い道のように思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる。深い喜びも生まれてくる。

なんとしても二階へ上がりたい。どうしても二階に上がろう。この熱意がハシゴを思いつかせ、階段をつくりあげる。上がっても上がらなくても、と考えている人の頭からは、けっしてハシゴは生まれない。

自分には自分に与えられた道がある。天与の尊い道がある。どんな道かは知らないが、ほかの人には歩めない。自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがえのないこの道。広い時もある。せまい時もある。のぼりもあればくだりもある。坦々とした時もあれば、かきわけかきわけ汗する時もある。

人の心は日に日に変わっていく。そして、人の境遇もまた、昨日と今日は同じではないのである。

人と比較をして劣っているといっても、決して恥ずることではない。けれども、去年の自分と今年の自分とを比較して、もしも今年が劣っているとしたら、それこそ恥ずべきことである。

苦しかったらやめればいい、無理をしてはならない。無理をしないといけないのはレベルが低い証拠。真剣に生きる人ほど無理はしない。無理をしないというのは消極的な意味ではない。願いはするが無理はしない。努力はしても天命に従う。これが疲れないこつである

とにかく、考えてみることである。工夫してみることである。そして、やってみることである。失敗すればやり直せばいい。

私は部下に大いに働いてもらうコツの一つは、部下が働こうとするのを、邪魔しないようにするということだと思います。

すべての人を自分より偉いと思って仕事をすれば、必ずうまくいくし、とてつもなく大きな仕事ができるものだ。

機会というものは真に熱意をもってことに当たれば、随所にあるものである。

悩んでも悩まない、そういうように感じることができれば、人生は決して心配することはない。

無理に売るな。客の好むものも売るな。客のためになるものを売れ。

どんなに悔いても過去は変わらない。どれほど心配したところで未来もどうなるものでもない。いま、現在に最善を尽くすことである。

心くばりの行き届いた仕事は一朝一夕には生み出せない。やはり日ごろの訓練や躾がものをいう。

100人までは命令で動くかもしれないが、1000人になれば頼みます、1万人にもなれば、拝まなければ人は動かない。

視野の狭い人は、我が身を処する道を誤るだけでなく、人にも迷惑をかける。

人類の生命は無限。だからその未来は無限。だから、まだまだお互いに進歩しなければならないのである。

普通の努力では、チャンスをチャンスと見極められない。熱心の上に熱心であることが見極める眼を開く。

一方はこれで十分だと考えるが、もう一方はまだ足りないかもしれないと考える。そうしたいわば紙一枚の差が、大きな成果の違いを生む。

人がこの世に生きていく限り、やはり何かの理想を持ちたい。希望を持ちたい。それも出来るだけ大きく、出来るだけ高く。

熱心は、人間に与えられた大事な宝である。そして、この宝は、誰にでも与えられているのである。

知恵のポンプは汲めば汲むほど湧いてくるんや。

誠意や真心から出たことばや行動は、それ自体が尊く、相手の心を打つものです。

人を使うには、ほめて使う、叱って使う、批判して使うなどいろいろあるが、ほめて使う人が概して成功している。

現在与えられた今の仕事に打ち込めないような心構えでは、どこの職場に変わっても決していい仕事はできない。

「ありがとう」と言う方は何気なくても、言われる方はうれしい、「ありがとう」これをもっと素直に言い合おう。

競争も必要、対立することもあっていい。だが敵をも愛する豊かな心を持ちたい。

「天は二物を与えず」と言うが、逆に「なるほど、天は二物を与えないが、しかし一物は与えてくれる」ということが言えると思う。その与えられた一つのものを、大事にして育て上げることである。

自分が利を得るために、不必要に自分の膝を屈することは決してすまい。なぜなら、そうして得られた応援や協力は、また目に見えないしがらみを生み、道を暗くするからである。

礼儀作法は人間関係を滑らかにする。社会生活の潤滑油である。

仕事が伸びるか伸びないかは、世の中が決めてくれる。世の中の求めのままに、自然に自分の仕事を伸ばしてゆけばよい。

指導者は才能なきことを憂うる必要はないが、熱意なきことを恐れなくてはならない。

恵まれた生活も結構だし、恵まれない暮らしも結構、何事も結構という気持が大切だと思います。

叱るときには、本気で叱らんと部下は可哀想やで。策でもって叱ってはあかんよ。けど、いつでも、人間は偉大な存在であるという考えを根底に持っておらんとね。

山は西からも東からでも登れる。自分が方向を変えれば、新しい道はいくらでも開ける。

売る前のお世辞より売った後の奉仕、これこそ永久の客を作る。

冷静ほど、大事なことはないのである。

世の中に変化し、流動しているものである。一度は失敗し、志を得なくても、それにめげず、辛抱強く地道な努力を重ねていくうちに、周囲の情勢が有利に転換して、新たな道が開けてくるということもあろう。世にいう失敗の多くは、成功するまでに諦めてしまうところに原因があるように思われる。最後の最後まで諦めてはいけない。

悩みはあって当たり前。それは生きている証であり、常に反省している証左でもある。

志を立てるのに、老いも若きもない。そして志あるところ、老いも若きも道は必ず開けるのである。

世の為、人の為になり、ひいては自分の為になるということをやったら、必ず成就します。

自分をほめてあげたいという心境になる日を持ちたい。

対立大いに結構。正反対大いに結構。これも一つの自然の理ではないか。対立あればこその深みである。妙味である。だから、排することに心を労するよりも、これをいかに受け入れ、これといかに調和するかに、心を労したい。

青春とは心の若さである。信念と希望にあふれ、勇気にみちて、日に新たな活動を続けるかぎり、青春は永遠にその人のものである。

私は、失敗するかもしれないけれども、やってみようというような事は決してしません。絶対に成功するのだということを、確信してやるのです。何が何でもやるのだ、という意気込みでやるのです。

人の言に耳を傾けない態度は、自ら求めて心を貧困にするようなものである。

「それは私の責任です」ということが言い切れてこそ、責任者たりうる。

人には燃えることが重要だ。燃えるためには薪が必要である。薪は悩みである。悩みが人を成長させる。

アイデアを生むと言っても、口先だけでは生まれない。これもやはり熱心であること。寝てもさめても一事に没頭するほどの熱心さから、思いもかけぬ、よき知恵が授かる。

楽観よし悲観よし。悲観の中にも道があり、楽観の中にも道がある。 0松下幸之助の名言

美と醜は表裏一体。美の面に囚われ、反面の醜を責めるに急なのは、真実を知らぬ姿である。

昨日の考えは、今日は一新されていなければならないし、今日のやり方は、明日にはもう一変していなければならない。

人生には損得を超越した一面、自分がこれと決めたものには命を賭けてでも、それに邁進するという一面があってもよいのではないだろうか。

たとえ平凡で小さなことでも、それを自分なりに深く噛みしめ味わえば大きな体験に匹敵します。

社会生活は日々これ戦い、日々これ苦難。その時に心が動揺するかしないかは、信念の有無で決まる。

よく人の意見を聞く、これは経営者の第一条件です。私は学問のある他人が全部、私より良く見え、どんな話でも素直に耳を傾け、自分自身に吸収しようと努めました。

どうしてみんなあんなに、他人と同じことをやりたがるのだろう。自分は自分である。百億の人間がおっても、自分は自分である。そこに自分の誇りがあり、自信がある。そしてこんな人こそが、社会の繁栄のために本当に必要なのである。

経営者にとって大事なことは、何と言っても人柄やな。結局これに尽きるといってもかまわんほどや。まず、暖かい心というか、思いやりの心を持っておるかどうかということやね。

逆境もよし、順境もよし。要はその与えられた境遇を素直に生き抜くことである。

自分の金、自分の仕事、自分の財産。自分のものと言えば自分のものだけれど、これもやっぱり世の中から授かったもの。世の中からの預かり物である。

学ぶ心さえあれば、万物すべてこれ我が師である。

力強さは使命感を持つところから生まれる。

10のサービスを受けたら11を返す。その余分の1のプラスがなければ、社会は繁栄していかない。

何事もゆきづまれば、まず、自分のものの見方を変えることである。案外、人は無意識の中にも一つの見方に執して、他の見方のあることを忘れがちである。

小利口に儲けることを考えたらあきません。世の中にぼろいことはないから、結局流した汗水の量に比例して、成功するわけですわ。汗もかかずして、成功するということもたまにはありますけど、それはきわめて僥倖な人で、普通はない。

誰でもそうやけど、反省する人は、きっと成功するな。本当に正しく反省する。そうすると次に何をすべきか、何をしたらいかんかということがきちんとわかるからな。それで成長していくわけや、人間として。

人間の運命を変えようと思ったら、まず日々の習慣から変えるべし。

いくら粉飾したところで、自分の生地は誤魔化し切れない。正直こそが、処世の一番安全な道。

人間万事、世の中のすべては、天の摂理で決まるのが90%、あとの10%だけが人間の成し得る限界だ。

商売なんて、最初は無料で奉仕するつもりでやれ。

賃上げも、首切りも結構やな。だがしかし、ウチはよそのように人のクビは切れん。

石の上にも三年という。しかし、三年を一年で習得する努力を怠ってはならない。

苦難が来ればそれもよし、順調ならばさらによし、という心づもりを常に持ち、人一倍の働きを積み重ねてゆくことが大切だと思う。

素直な心とは、何物にもとらわれることなく物事の真実を見る心。だから素直な心になれば、物事の実相に従って、何が正しいか、何をなすべきかということを、正しく把握できるようになる。つまり素直な心は、人を強く正しく聡明にしてくれるのである。

「自分の行う販売がなければ、社会は運転しない」という自信をもつことであり「それだけの大きな責任を感ぜよ」ということがしっかりした商売ができるかどうかの基本になりますな。

商売や生産はその商店や製作所を繁栄させることにあらず、その働き、活動によって社会を富ましめるところにその目的がある。

商売というものは、損したり儲けたりしながら成功するという考え方もあるが、それは誤りだ。商売は真剣勝負と同じで、切られているうちに成功することはあり得ない。やればやっただけ成功するものでなければならぬ。上手くいかないのは運でも何でもない。経営の進め方が当を得ていないからだ。だから確たる信念を持っている人は、不景気のときほど儲けるではないか。

自分は病弱だったから、すべて人に任せました。結果的にはそれで人が育ち、事業が成功しました。病弱だったのは不運でしたが、結果的にはそれが幸運でした。

何でもあれこれ命令してやらせるのではいけない。それでは言われたことしかしない人ばかりになってしまう。やはり仕事は思い切って任せることである。そうすることによって、その人は自分でいろいろ考え工夫するようになり、その持てる力が十分発揮されて、それだけ成長もしてくる。

進歩は無限であるというふうに考えて、そしてそれと取り組んでいけば、際限なく進歩していくと私は思います。

私は、人間というものは、たとえていえば、ダイヤモンドの原石のような性質をもっていると思うのです。すなわち、ダイヤモンドの原石は、もともと美しく輝く本質をもっているのですが、磨かなければ光り輝くことはありません。

人は、あるところでは卑劣に行動しながら、別のところで高徳に振る舞うことは、できないのである。その些細な心の緩みやごまかしが、全体を蝕んでいくのである。人は騙せても自分自身は騙せない。

失敗すればやり直せばいい。やり直してダメなら、もう一度工夫し、もう一度やり直せばいい。

どんなにいいことを説いても、そのなすところがそれに反していたのでは、十分な説得力は持ち得ない。

時には常識や知識から開放され、思いつきというものを大切にしてみてはどうだろうか。

なすべきことをなす勇気と、人の声に私心なく耳を傾ける謙虚さがあれば、知恵はこんこんと湧き出てくるものです。

師をそのまま模倣するだけでは師以上にはなれないけれど、その考えをよく吸収消化して自ら励んでいけば、師以上の人物になれるかもしれませんね。

いくら熱心でもムダなことやったらいけませんで。それがムダかどうかは、あなた自身で考えなさい。これはムダなことかどうか、一つひとつ検討しなさい。必ずムダなことをやっているに違いない。

自省の強い人は自分というものをよく知っている。つまり、自分で自分をよく見つめているのである。私はこれを自己観照と呼んでいるけれども、自分の心をいっぺん自分の身体から取り出して、外からもう一度自分というものを見直してみる。これができる人には、自分というものが素直に私心なく理解できるわけである。

一切のものには寿命があると知ったうえで、寿命に達するその瞬間までは、お互いがそこに全精神を打ち込んでゆく。そういう姿から、大きな安心感というか、おおらかな人生が開けるのではないかと思う。

無限に発展する道はいくらでもある。要はその道を探し出す努力である。

商売であがった利益は、法律上は個人のものであるけれど、しかし実質的には社会の共有財産である。したがってその一部は自分の良識で使うことが許されるけれども、大部分は社会から預かった金である。財産があることは、それでさらに事業をしなければならん。

私は小さい頃貧しかったので、最初は腹一杯食べたい夢でした。丁稚奉公にいってからは、貯金して早く店を持ちたいと思いました。商売をはじめても、大きな会社など望みませんでした。一段上の夢を着実にこなしていっただけです。

自らも楽しみ人々にも喜びを与える。大切な人生をこうした心構えで送りたい。

失敗することを恐れるよりも、真剣でないことを恐れたい。

自分の仕事は、人の助けなくして、一日も進み得ないのである。

「あの人は自分のことをわかってくれない」とか、「せっかくいい提案をしているのに、うちの上司は無理解だ」と思うようなことがあれば、一度とらわれず、人を見て法を説いているかどうか、静かに考えてみることも大切だと思います。

どんなに完備した組織を作り、新しい手法を導入しても、それを活かす人を得なければ成果も上がらず、企業の使命も果たせない。企業が社会に貢献しつつ、自らも隆々と発展していけるかどうかは、一にかかって人にある。

戦国時代の武将や、明治の志士たちは皆、10代で見事な働きをしているではないか。君はもう20歳を越えている。大丈夫。きっとできるよ。

戦国時代の武将や、明治の志士たちは皆、10代で見事な働きをしているではないか。君はもう20歳を越えている。大丈夫。きっとできるよ。

いくつになってもわからないものが人生というものである。わからない人生を、わかったようなつもりで歩むほど危険なことはない。

人生における成功の姿は、予知できない障害を乗り越え、自分に与えられた道を着実に歩んでいくところに表われる。

思ったことが全部実現できたら危ない。3回に1回くらいがちょうどいい。 3松下幸之助の名言

人は何度やりそこなっても、「もういっぺん」の勇気を失わなければ、かならずものになる。

私のこれまでの人生というものは、さまざまなことを教えてくれた多くの人々の「一言」によって支えられ、成り立っていると言っても過言ではありません。

どんな賢人でも、その人ひとりの知恵には限りがあって、だから自分の知恵、才覚だけで事を運べば、考えがかたくなになる。視野が狭くなる。

せっかくの99パーセントの貴重な成果も、残りの1パーセントの止めがしっかりと刺されていなかったら、それは初めからなきに等しい。

男は男、女は女。牛はモーで馬はヒヒン。繁栄の原理はきわめて素直である。

いかにすぐれた才能があっても、健康を損なってしまっては十分な仕事もできず、その才能もいかされないまま終わってしまいます。では健康であるために必要なことは何かというと栄養であるとか、休養とかいろいろあるが、特に大切なのは心の持ち方です。命をかけるというほどの熱意を持って仕事に打ち込んでいる人は少々忙しくても疲れもせず、病気もしないものです。

謙虚さを失った確信は、これはもう確信とはいえず、慢心になってしまいます。

万策尽きたと思うな。自ら断崖絶壁の淵にたて。その時はじめて新たなる風は必ず吹く。

迷う、ということは、一種の欲望からきているように思う。ああもなりたい、こうもなりたい、こういうふうに出世したい、という欲望から迷いがでてくる。それを捨て去れば問題はなくなる。

人間というものは、気分が大事です。気分がくさっていると、立派な知恵才覚を持っている人でも、それを十分に生かせません。しかし気分が非常にいいと、今まで気づかなかったことも考えつき、だんだん活動が増してきます。

人間は本来働きたいもの。働くことをじゃましないことが、一番うまい人の使い方である。

半分は先輩から教えてもらう、半分は部下から教えてもらう。

失敗したところでやめてしまうから失敗になる。成功するところまで続ければそれは成功になる。

叱られて反感をもち、不愉快な態度を示すならば、再び叱ってもらえる機会を失うとともに、自己の進歩もそれで行きづまりとなってしまう。

10人の人がいれば10人の人の知恵を借りる。100人の人がいれば100人の知恵を借りる。1億人いれば1億人の知恵を借りる。私にとってすべての人、ものがわが師である、という考えでやっている。

自然の恵みは、母親の慈愛と同じ。母親の慈愛に感謝するように、自然の恵みに感謝したい。

報いられることを期待して感謝の心をもつことはおかしいが、感謝の心をもてば、いろいろなかたちになって報いられるのは確かだ。

90歳になったら、中学校に入学したい。勉強したい。

身も心も豊かでなければ、真の幸福、真の平和、真の繁栄はありえない。

遅れているから前へ進める。先頭に立っていないから先頭に立てる。

謙虚な心さえあれば、自分の周囲にあるもの、いる人、すべてがわが心の鏡。自分のふるまいの正邪がそこにありのままに映し出されてくる。

使命感と気力。この2つがないと立派な経営はできん。

「人生は終生勉強である」このような考えをもたないなら、その人の進歩向上は止まってしまうだろう。

ぼくは人間とは不思議なものだと思います。疑いの気持ちで接すれば、おそらくその気持ちが相手に伝わるでしょう。相手も自分に対して心をひらいてはくれません。けれども、こちらがまず信頼していけば、その信頼に応えてくれる場合が多いものです。

ぼくは人間とは不思議なものだと思います。疑いの気持ちで接すれば、おそらくその気持ちが相手に伝わるでしょう。相手も自分に対して心をひらいてはくれません。けれども、こちらがまず信頼していけば、その信頼に応えてくれる場合が多いものです。

文句を言われるのは、やはりどこかに文句を言われるだけの理由がある。その厳しい得意先をも満足させるだけの、誠意と熱意と信念がほしい。

気をつけて世の中を見れば、なすべき仕事はいくらでもある。仕事のないのを嘆じるのは、真に仕事を見つけることに努力していないからではないか。

維新の志士といわれる人びとは、一身をもかえりみず、いわば私心を捨てて国のために尽くした人が多いが、その中でも西郷隆盛はひときわとびぬけて私心というもののなかった人のようである。

指導者はつとめてみずからの徳性を高めなくてはならない。

素直な心というものは、だれに対しても何事に対しても、謙虚に耳を傾ける心である。

一国の将来を卜するには、その国の、今、政治を担当している人が、百年先、二百年先に、こういう国家をつくるのだという、目標をしっかりもっているかどうかである。

すべての国民が生き生きと仕事に励み、生活を楽しむようにするのが、政治の目的である。

政治家でも経営がわかっていなければダメである。経営者でも政治がわかっていなければダメである。

今の政治の混迷を考えると、国家国民の将来のために、この身がどうなろうと、野垂れ死にしようと、なすべきことをしないといけない。

他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、道はすこしもひらけない。道をひらくためには。まず歩まねばならぬ。心を定め、懸命に歩まねばならぬ。

素直さは人を強く正しく聡明にする。逆境に生き抜いてきた人、順境に素直に伸びてきた人、その道程は異なっていても、同じ強さと正しさと聡明さを持つ。

素直さを失ったとき、逆境は卑屈を生み、順境は自惚を生む。逆境、順境そのいずれをも問わぬ。それはそのときその人に与えられた一つの運命である。ただその境涯に素直に生きるがよい。

経営とはそう軽々しいものではない。非常に高度なもので、真・善・美を見出さなければ成功しない。ゆえに私は経営は高き総合芸術、それも生きた総合芸術だと思っている。

人間の心というものは、孫悟空のように、まことに伸縮自在である。その自在な心で、困難なときにこそ、かえってみずからの夢を開拓するという力強い道を歩みたい。

成功は運がよかったから。失敗は自分に力がなかったから。そう考えて経営をやってきた。

難しいことだけれども、やろうじゃないかと言い続け、そして実際にやる努力を続けていけば、必ず事はなる。できないと匙を投げたら、永遠にできない。

企業が赤字を出すということは、国家的国民的な罪悪である。

ぼくは今年の11月で満92歳になりますが、年をとるに従って、ますます強くなるのは、父や母に対する感謝の気持ちです。

親を大切にするという道徳は、人間としてもっとも尊いものだと思います。

知識はなくてもいいんや熱心ささえ誰にも負けなかったら必ず道は開ける。

もしあんさんが毎日心配せずに生きたかったら、経営をやめたほうがよろしい。経営者の一番の仕事は心配することや。

君らなあ、布団に入ってすぐ眠ってしまうようではあかんな。これから日本がどうなるか、いろいろ考えながら眠らんとあかんな。

失敗の中にも成功の兆があり、成功の中にも失敗の兆がある。

運命を切り開いたり、新しい発見、発明をするには、常識を一度破ってみることも必要である。

笑顔には、不思議と挫けそうな心を癒やし、新たな勇気と意欲をわき立たせる力がある。

僅かな人間の知恵の幅である。賢さの中にも愚かさがあり、愚かさの中にも賢さが潜んでいる。

私には3つの財産がある。それは学校へ行かなかったこと。健康に優れなかったこと。そして、決断に弱かったことだ。だから、人が教えてくれたり、助けてくれたりして成功した。

忙しい時になるとお客さんは仕入れ先を吟味しますね。そうすると、日ごろ勉強している店から買おうということになるのです。忙しい時に勉強していれば、ヒマな時かえってお客さんが増えるわけですね。だから「景気によし、不況になおよし」ということになるのです。

本当の人材とは、その会社に相応した人ですよ。町工場へ東大出に来てもらっても、その人は人材になりますか。困ることもあるでしょう。

幸せというものは、そんなにたやすく得られるものではない。言いかえれば、たやすく満足できるものは幸せではない。幸せとはそんな安易なものではないし、人間というものはそんなに浅薄なものではない。また幸せがたやすく得られたら人間の逞しさというものがなくなってしまう。

みなが共存し、みなが繁栄する社会生活を生み出すためには、それぞれの好みを尊重し、また自らの持ち味を発揮して、各自が繁栄していく必要がある。社会性に反した無思慮な方法で競争が行なわれると、その結果、業界全体が収拾のつかない混乱に陥ることは、過去何回も体験してきたところである。

経営が正しくなされれば、共同生活を向上させ、社会にとっても大きな貢献となる。経営というものは、人間が相寄って、人間の幸せのために行なう活動であり、芸術と同じように高く評価されるべきものである。

どこの会社の経営でもそうでありますが、我々のような日進月歩の商品を扱っている会社は、よほど競争力にたくましいものをもたなければいけない。非常に迅速果敢にして、常に適正を表していくというような経営をやらなければ、競争に打ち勝つことができない。

国際化時代だからこそ日本を正しく見つめて、これを語ることが大切だと思う。信念をもって日本の伝統を語り、日本の今日を語るということである。外国へ行ったり、外国人と交際したりする前には、まず自分の国というものをよく知らなければならない。

何事によらず、志を立てて事を始めたら、少々うまくいかないとか、失敗したというようなことで簡単に諦めてしまってはいけないと思う。一度や二度の失敗でくじけたり諦めるというような心弱いことでは、本当にものごとをなし遂げていくことはできない。

実際、ああそれはいままで何度もやってみたんだが、できないんだ。と決め込んでいることが、我々の身のまわりには意外に多いのではなかろうか。ときには自分の考え、また自分をとらえている常識や既存の知識から解放され、純粋な思いつき、というものを大切にしてみてはどうだろうか。

藤田くん、儲けのコツはふたつだ。ちょっと儲かってくると、業界団体に入れ、役員をやれといってくる奴がいる。いいかキミ、金を儲けようと思ったら絶対にそんなことはしちゃいかん。金儲けだけをやれ。それと、金儲けしようと思ったら、偉い経営者の言葉は信用するな。

日本は自力で発展してきたのではなく、ほとんど他力本願でここまできた。他力によって日本の経済は戦後16年でこれだけの発展をしたのだと思う。そのことを自己の力によって発展したかのごとき錯覚を国が持ち、政府が持ち、国民が持っているというような感じがする。そこに大きな問題がありはしないかと思う。

任せるということは、この人ならうまくやるだろうということを前提として任せるんです。無責任に任せるんじゃないのですから、いかんなと思うときには口で言ってやらねばいかんです。

目標を持ちなさい。目標をもったらすぐに諦めない。コツコツと、少しずつでもいいから前進することが成功の秘訣だ。

自分はタバコくわえて遊んでいて、社員に「働け」と言うたかて、そら働きよらんですよ。

自分なくして傍の意見を聞くというのは非常に危険。

仕事を担当する以上は、その仕事に関連する人に一種の感銘を与えるような仕事をしなければいけない。

いくらなじみのお客様でも、お迎えする際には感激を新たにしてお迎えする態度が大切。

商売というものは単なる売り買いでなく懸命な奉仕であり、そこに良き心が通いあわなければならない。誠意をもって事に当たってこそ、その人の言葉、態度に深い味わいが生まれ、それが人の心を動かす。

はじめからしまいまで徹底的に悪いということもなければ、また徹底的に良いということもない。

心配またよし。心配や憂いは新しくものを考え出すひとつの転機ではないか。

経営者というものは、常に真実というものに立たないといかん。真実を訴えないといかん。

人間は自分をつくるという気持ちが大切で、それが自分の容量をいずれつくっていくのだ。

開拓というのは大変ですなあ。大事なのは、一つは自分の努力、そして運ですわ

大切なことは、うろたえないことである。慌てないことである。

刻々にくだす意志決定を誤らないためには、人を使う立場の者は常日頃から自分の人生観、事業観、社会観の涵養につとめることが大切である。

窮するのあまり、物に心を奪われてはならない。常に至誠に立ち、物にとらわれない精神をもって押し進むべきである。

カンでいいときと、カンではなく科学的なものでないといけないときがあるわけです。しかし、カンが必要ないということには決してならない。

社員が社長の意のままにならないと思われる場合でも、根気よく、誠意と熱意をもって説得すれば、やがては必ず聞いてもらえる。

経営が上手くいくかどうかということは、いろいろな事情があるにしても、結局は最高責任者である社長一人の責任。

経営を預かる者は、仕事がたとえなくても、社内を沈滞させないように考えなくてはいかん。それができるかどうかが、経営者としての分かれ道。

教えることに熱意を持て、教えられることに謙虚であれ。教え教えられずして何ものも生まれてこない。

起業すると心配が絶えない。それがトップの仕事と思って楽しめ。

いかに大をなすとも、一商人の志を忘れてはいけない。

ビジネスには人中心の考え方を重点におくことが大事。人を中心におくと、いつのまにか突破口が開けて、踏み出せる力が生まれるもんなんや。

厳しい道程を厳しく歩む――そこにはじめて、人間としての正しい習性が養われ、そのいい習性によって、はじめて幸せというものが味わえてくるのであろう。

人間の知恵というものは、しぼればいくらでも出てくるものである。もうこれでおしまい。もうこれでお手上げなどというものはない。

他人はすべて自分よりもアカンと思うよりも、他人は自分よりエライのだ、自分にないものをもっているのだ、と思うほうが結局はトクである。

正当以上の卑屈な努力までする必要はない。

誰も争うために商売しているわけではありません。

しかめっ面で相手に話しかける人、。

昨日と同じことを今日は繰り返すまい。どんな小さなことでもいい。どんな僅かなことでもいい。多くの人びとの、このわずかな工夫の累積が、大きな繁栄を生み出すのである。

素直な心で見るということが極めて大事だ。そうすれば、事をやっていいか悪いかの判断というものは、おのずとついてくる。

部下の失敗はただ叱れば良いというものではない。失敗を自覚している時には慰めも又必要です。

経営理念が単なる利害、単なる拡張というだけではいけない。それらのことが、いわば何が正しいかという人生観に立ち、かつ社会観、国家観、世界観さらには自然の摂理というところから芽生えて来なければならない。

天国のよさは、地獄に落ちてはじめてわかる。不足を体験しなければ、満ち足りた喜びは味わえない。

感謝する人と感謝しない人。感謝する人はみなから歓迎される。喜びを知ることのできる人はすばらしい。 0松下幸之助の名言

苦労を語る前に、私はまず、自分自身の幸運に感謝したい。

紙一枚の、その裏にひそむ、そのものの値うちを考えると、なかなか平気で捨てることはできないものだ。

誰の意見にも感心し、なんのためらいもなく他人に尋ねることができる人には、人が集まり、知恵が集まり、人望が集まる。

指導者は、部下の話に耳を傾けよ。話を聞くことによって、知恵が集まり、部下の人たちも成長する。

故障すればすぐに駆けつけて修理をする。注文があればすぐに届ける。そういうサービスもあるだろうが、笑顔のサービスこそ、最も基本的なことであることを忘れてはならない。

感謝の心、奉仕の心は、人間だけに与えられたかけがいのない無限の宝だと思う。

衆知を集めた全員経営、これは私が経営者として終始一貫心がけ、実行してきたことである。全員の知恵が経営の上により多く生かされれば生かされるほど、その会社は発展するといえる。

自分を粗末にするような人間は、ほんとうに他人を大切にし、他と協調していくことはできないと思う。

人の上に立つ者にとって、部下の長所を伸ばし育ててゆくことが何より大切であるが、その長所を見出すには、まず自分が謙虚な心をもつ必要があると思う。みずからが謙虚になってこそ、部下のよさもわかり、その長所が自然と見えてくるというものであろう。

経営者はそのことを「空気」で感じられるようにならないといかん。工場へ行ったら、一歩その工場の中に入ったとたん、おかしいなということを、ピンと空気でわからんとほんとうの経営者とはいえん。

将来何か事を成そうとするのなら、まず先立つものは「信用」である。資本も大事だが、信用があれば資本は集まってくる。

不平不満で腹を立てている。つまりそれは、感謝の心を忘れたり、その不平不満の原因が結局は、自分自身の内なる心にあることを忘れてしまった姿といってもよいでしょう。

小さいながら、わが商売というものは公のものである。法律上は私的なものであるかもしれないが、その本質というものは、公のものである、ということに気がついた。それは商売を始めて14年ほどしてからやった。

大志を抱かずして一日一日を積み重ねて、ついに大志を抱いたと同じような成果をあげるという人もある。私の場合はどちらかというと、大志をもたずして、大志を抱いた人と同じような成果をあげたことになるんやないかという感じがします。

「大志を抱く」という言葉だけに浮かれてはならない。大志を抱かずとも、一日一日を積み重ねて大きな成功を得る人もいる。決して足もとを見忘れてはいけない。

憤慨すべきときでも憤慨せず、物事の奥を極めて、なすべきことをなす。それが実力ある者の仕事である。

その熱意に感じて、知恵のある人は知恵を、才能ある人は才能をといったように、それぞれの人が自分の持てるものを提供してくれるだろう。

指導者に、ぜひともこれをやりたいという強い熱意があれば、それは必ず人を動かすだろう。

指導者は、こと熱意に関してはだれにも負けないものをもたなくてはならない。知識なり、才能なりにおいては、人に劣ってもよいが、熱意については最高でなければならない。

指導者に反対する者、敵対する者もいるだろう。それに対してある種の力を行使することはいいが、それだけで終わっては、それがまた新たな反抗を生むことになってしまう。力を行使しつつも、そうした者をもみずからに同化せしめるような徳性を養うため、つねに相手の心情をくみとることにつとめ、自分の心をみがき高めることを怠ってはならないと思う。

指導者に人から慕われるような徳があってはじめて、指導者の持つ権力その他もろもろの力も生きてくるのだと思う。

指導者はその団体でいちばん謙虚で感謝を知る人でなくてはならない。

指導者は地位が高くなればなるほど謙虚でありたい。

指導者は失敗の原因はすべてわれにありと考えるべきである。

活かし方を知らなければ、すべてのものがマイナスになる。ムダだ、マイナスだと頭をかかえてばかりいたら、不満に心が暗くなり、せっかくの天与の贈物も猫に小判。

この世の中に存在するものは、一つとしてムダなものはない。ムダだと思うのは、その活かし方、使い方を知らないだけ。

心があって物があって、その心の力が物の力を支配して、はじめて人としての真のゆたかさが生まれてくる。

素直な心というものは、物事のありのままの姿、本当の姿、実相というものが見える心である。

お互いに温かい寛容の心を持って接し合うことが、世の中を明るく暮らすために一番大事なこと。

成功した人は、普通の人ならその困難に打ち負かされるところを、反対に喜び勇んで体当たりしている。

塩の辛さ、砂糖の甘さは学問では理解できない。だが、なめてみればすぐ分かる。

幸福とは、自分に与えられた天分の中に生きてゆくことにある。地位や名誉や財産にあるのではない。

長所も短所も天与の個性、持ち味の一面である。うぬぼれず、なげかず、おおらかにそれを活かす道を考えたい。

税金を国民から取るのは当然と考えるばかりか、増税することに傷みを感じない為政者は失格である。

政治家の良否が国の命運を左右し、国民の幸不幸を決める。

順境だけでの人生などありえない。それぞれの世界で頭角をあらわす人は、逆境との闘いに勝った人だ。苦境を活用し、成功の糧とした人だ。

逆境を好んで求める人はまずいないだろう。誰も順境のうちに身をおき、苦難、挫折に直面することなく、平穏に生きていきたいと願っているはずだ。しかし、それでも逆境は訪れる。人生には逆境と順境が配されているからである。順境だけでの人生などありえない。

逆境は尊い。しかしまた順境も尊い。順境であっても謙虚に学ぶ心があれば数え切れないほどの知恵を得ることが出来る。その与えられた境涯に素直に生きることである。謙虚の心を忘れぬことである。

逆境、それはその人に与えられた尊い試練であり、この境涯にきたえられてきた人はまことに強靭である。古来、偉大なる人は、逆境にもまれながらも、不屈の精神で生き抜いた経験を数多く持っている。まことに逆境は尊い。だが、これを尊ぶあまりに、これにとらわれ、逆境でなければ人間が完成しないと思いこむことは、一種の偏見ではなかろうか。

結局どんな仕事でも、それに徹するならば、その仕事を中心として無限といってもいいほどに広がっていくものではないかと思う。もうこれ以上、進歩発展の余地はない、これで終わりだというようなことは決してない、といっていいであろう。

職場は人生の道場である。給料をもらうだけのところではない。地位が上がって偉くなるだけのところでもない。最も大事なのは、一人の人間として、職場の中で、自分の個性、持ち味を十分に発揮し、人間的に成長できるようにしていくことだ。自分自身のかけがえのない人生を、会社で仕事をすることを通じて、自分の力で充実したものにしていくことだ。

自分に権限がないからは弱者の泣き言。

今日考えたことは、その日のうちに実行する。

仕事を部下に任せることは大事である。しかし、その仕事を、自分が知った上で任せなければならない。そうしなければ部下に軽んじられる。

運を高めていくためにはどうすればいいか、徳を積むことである。

人間90パーセントまで運命によって決まるが、残り10パーセントはその人の意志によって変わる。

この世に存在するものは一切不要なものはない。どのような悪人でも、毒物でも、使い方によっては全部役に立つ。

成功を邪魔するものは、結局自分自身である。世間は誰一人として邪魔をしない。

自分自身より社会全体を見る。同時に国内外の状態を常に見る。そして比較検討しながら、われ何をなすべきかということを考えなければならない。

風が吹けば波が立ち、波が激しければしぶきをうける。波をうけ、しぶきをかぶっても舵とりさえ確かなら目的の港にはいることができる。

転んだら立たねばならぬ。赤ん坊でも転んだままではいない。すぐ立ちあがる。

こうして社会に貢献するというはっきりした使命感をもつ。

勇気は公のためにやるという立場に立てば、おのずから湧いてくるものである。

教わらずして、学ばずして、人は何一つ考えられるものではない。幼児は親から、生徒は先生から、後輩は先輩から。そうした今までの数多くの学びの上に立ってこそ自分の考えなのである。自分の知恵なのである。だから、よき考え、よき知恵を生み出す人は、同時にまた必ずよき学びの人であるといえよう。

できると思えば、人間案外できるもの。

自分ひとりの頭で考え、自分ひとりの知恵で生み出したと思っていても、本当はすべてこれ他から教わったものである。

自分の周囲にある物、いる人、これすべて、わが心の反映である。わが心の鏡である。

経営者としての大きな任務の1つは、社員に夢を持たせるというか、目標を示すことであり、それが出来ないのであれば経営者として失格である。

この世に起こることは全て必然で必要、そしてベストのタイミングで起こる。

真剣に志を立てよう。生命をかけるほどの思いで志を立てよう。

計画性を持って事を行うことは大事である。しかし時には必要に迫られて事を運ぶ行き方も必要である。

人は、松下さんは成功した、結構ですなと言うてくれる。

そこに自分の自信があり、誇りがある。

何億の人間がいても自分は自分である。

この熱意がハシゴを思いつかせ、階段を作りあげる。

何としても二階に上がりたい、どうしても二階に上がろう。

衆知を集めないというのは、言ってみれば、自分の財産は自分が持っている時だけしかないと思っている人と同じやね。少しひらけた人なら・・・全世界は自分のものだと思っている。しかし全部自分で持っているのはめんどうだから預けておこう、というようなもんやな。

この電球はどこで光っているか知っているか?子供たちが絵本を読んでいる。すると、外が暗くなる。家の中はもっと暗くなる。そうなれば、どんな物語も途中で閉じなあかん。

x大事なことは、理屈のやりとりではない。

失敗とは成功する前に止めること。成功するまで続ければ必ず成功する。

値切られて、薄口銭で飯も食えんようになるという商売はいけません。双方に喜びが残り、味わえるような商売のあり方を、政府は奨励しなければいかんでしょう。

商売というものは、売る方も買う方も双方が喜ばなければいかんものです。買った人は、こういうものが買えて良かった、大変便利だとか、豊かになったとか、そういう喜びを持つ。売った者も、その喜びを感じてもらうと同時に、利益も残ったというふうにね。

躍動した経営をやるとかやらんとかいうことは、頂点に立つ経営者が使命感をひとつ持たなかったらいけませんな。指導者次第ということでしょうな。

一国の首相であれば国民のため、会社の社長なら社員のため、部長や課長なら部下のために、大事に際しては自分の命を捨てるんだ、という心意気をもたないといけません。命をかけるといえば多少ウソになるというなら、命をかけんでも職をかける、指導者は当然、それをやらないといけません。その気がまえで臨めば、そのことに誤りがなければ成功しますよ。

「人を見て法を説け」と言ったのはお釈迦様ですが、人間というものが変わらない限り、やはりこれは真理を突いた言葉ではないでしょうか。

半日分の工賃の損失は、長い目で見れば一時的の損失で問題はない。松下電器は将来ますます拡張せんものと考えているときに、せっかく採用した従業員を解雇することは、経営信念のうえにみずから動揺をきたすことになる。

働くことは尊いが、その働きに工夫が欲しい。創意が欲しい。額に汗することをたたえるのもいいが、額に汗のない涼しい姿もたたえるべきであろう。怠けろというのではない。楽をする工夫をしろというのである。楽々と働いて、なお素晴らしい成果が挙げられる働き方を、お互いにもっと工夫したいというのである。そこから社会の繁栄も生まれてくるであろう。

「命ぜられたとおりにやって、その通り上手くいったのだから、もうそれでよい」と考える人。「たとえ人から命ぜられたままにやったとしても、その結果は一応きちんと報告しなければならない。そうしたら命じた人は安心するだろう」と考える人。その何でもない心がけ、ちょっとした心の配り方の違いから、両者の間に信頼関係に対する大きな開きが出てくる。

日本人は政府に税金を納めたら、政府が何に使おうと無関心である。自分が義務さえ果たしたら、それでいいと思う。ところがアメリカは違う。税金は自分たちが生活や事業を営むうえで必要な政治をやってもらうためにあるのだと考えている。

それはあなたの決心の問題ですよ。そういうことをやらねばと決意すれば、それなりにできるものです。あなたは、もっと強い心を持たないと駄目ですよ。アメリカの企業は現にやっているのだから、我々もやったらいいと思ってやらないとできませんよ。日本と同じように戦争に負けたドイツでも、日本の企業より自己資本はずっと多いじゃありませんか。

元気な人間は陣頭に立って突っ走るものだが、振り返ると誰もついてきていないことが多い。陣頭に立って、自分についてこいと、独裁になる者が多い。自分は半病人的経営だから、社員たちの後ろからついていく。

お互いに、自分が他人と違う点をもっとよく考えてみよう。そして、人真似をしないで、自分の道を自分の力で歩いていこう。そこにお互いの幸福と繁栄の道がある。

今はどこの会社や工場でもよい商品をつくろうとして、品質管理を一生懸命に勉強している。でも、それよりもっと大事なのは、きみ、人質管理やで。

素直な心は、あなたを強く正しく聡明にいたします。

君は幸せだ。いまが最悪だから、君は何をやってもよくなるはず。

5年後、10年後にどうなるか、どうすべきか。その上で、今どうしたらいいのかを考える。将来から現在を考えるのが、経営者としての発想である。

単に働くだけではいかん。世間のためにやる、大きくいうと社会のためにやる、というふうになると強うなりますわな。

塩がからいということは誰でも知っている。砂糖の甘さも誰もが知っていると思う。しかし、砂糖も塩もなめたことがなければ、その甘さやからさの説明をいくら聞いたところで、実際の味が分かるものではないと思う。仕事にせよ商売にせよ、それと同じことであろう。

経営に対する経営者自身の使命感。そういうものがなかったら、人を育てようと思っても人は育ちません。

家康でない人が家康の通りにしたら失敗する。そんなん読んで真似したらあかんぞ。

早いけれども雑だというのもいけないし、丁寧だが遅いというのもいけない。念入りに、しかも早くというのが、今日の名人芸なのである。

成功の姿は、人によってみな異なる。

信念なき経営者は経営者じゃない。

経営というものは、手品でもなんでもない。ごまかしでなく、ひとつひとつキチンキチンと正しくやり、やがてそれで信頼してもらうということ。

経営は聖人君子の業ではない。君らええ格好すな。

熱意があれば、まわりの人がその熱意にほだされて、みな一所懸命やりますよ。なんぼ賢い人でも経営に熱意をもっておらんと、まわりが動かん。

自分の仕事においては責任ある経営者という意識で取り組もう。そうすれば創意工夫が生まれ、個人にとっても会社にとっても好ましい成果に結びつく。

いま自分に与えられている仕事や地位は、半分は我がために、半分は社会のためにある。

会社の社員であっても、「自分は社員稼業という独立経営体の主人公である」という信念に立とう。

人間の心は孫悟空の如意棒のように伸縮自在で、大きくも小さくもなる。要は各人の心の持ち方次第。

ほかの企業は諦めて撤退しましたが、松下はやめなかった。諦めた者と諦めなかった者との差が出ているだけ。

松下が値段を決めるのではなく、市場でお客さんが値段を決める。

何か重要なプロジェクトを任せる時、熱心に仕事をする人と賢い人、どちらに任せるか。答えは熱心な人だ。

自分の天分を見出し、存分に生かし切ること。それこそが真の成功である。

素直な心とは、他人の言葉に盲従することではない。その言葉の中にある正しさに従うことである。

何か困難や苦しいことがあっても、人は仕事に集中すればそれを忘れることができる。また、それをやり終えたあとには、非常なうれしさがある。

どんなつまらんことでも見方で変わってくるんや。心して見るか、心なしに見るかで大いに対応が違ってくる。


情勢は刻々と移り変わっていく。だから、1日の遅れが1年の遅れを生むというような場合も少なくない。決断もせず、実行もせずといった姿で日を過ごすことは許されない。

誠実に謙虚に、そして熱心にやることである。

感謝の心が高まれば高まるほど、それに正比例して幸福感が高まっていく。

むずかしいことはできても、平凡なことはできないというのは、ほんとうの仕事をする姿ではない。

人より一時間余計に働くことは尊い。努力である。勤勉である。だが、いままでよりも一時間少なく働いて、いままで以上の成果を挙げることもまた尊い。そこに人間の働き方の進歩があるのではないだろうか。

人の行うべき誰にでも与えるものはある。笑顔を与える、笑いを与える。求める活動から与える活動へ転換をはかりたい。

松下電器は人を作る会社です。あわせて電気製品を作っています。

人間のやることですから、いろいろなことがあります。しっかり理念をふまえてやる人も、勢いに任せてやる人もいる。そんなときにはやっぱり注意してやらないといけません。注意を怠ったら、その人を捨て去ってしまうのと一緒ですわ。

叱ってくれる人を持つことは大きな幸福である。

商売とは、感動を与えることである。

些細なことをおろそかにしない心がけが人生を大きな成功へ導く。

自分の腹は減っているのに、持っているものを他に与えるということは、これはこれで大変意義のあることだとは思うが、自分は食わないで他人にものを与えたら、そのときは良くても後が続かない。いつも他の人にものを与えたいというのであれば、まず自分の腹を満たしておかないと、他に与える活動すらもできなくなってしまう。

モーターといっても小型である。しかも、いま皆さんの家庭でモーターを使っているところがあるか。誰も使っていないということは、無限の市場があることだ。

激しい競争の中にあっても、松下電器は単に競争そのものにとらわれず、常に何が正しいかを考えて淡々としてその道を進んでいかなければならない。それは非常に難しいことだが、我々の本来持つ尊い使命を正しく遂行していけば、自ずからできる、必ず知恵才覚も刻々と湧いてきて、個々の困難に対処する力も出てくるということを私は信じていた。

人の長所が多く目につく人は、幸せである。

僕はこれまでにたくさんのご夫婦を見てきましたが、あまり上手くいっていないご夫婦はどうもあまり褒めあっていないように思える。その反対に、上手くいっているご夫婦は、巧まず自然のうちにお互いが褒めあっている。そういうことがいえると思うのです。人間というものは他人から褒められるのも嬉しいものですが、自分の奥さんなり、ご主人からそういうことを言われるとひとしお嬉しいものです。

私が今日の大を成したのは、それはあらかた運ですね。一日一日を努力して生きてきただけのことです。強いて言えば、積み重ねがすべてです。人間万事、世の中すべては天の摂理で決まるのが90%、人間が成し得るのはたかだか10%ぐらいだと思っています。

私は死の直前まで、運命に素直に従いたい。

決心することが、社長と大将の仕事である。

これらのすべてに学びたい。どんなことからも、どんな人からも、謙虚に素直に学びたい。すべてに学ぶ心があって、はじめて新しい知恵も生まれてくる。よき知恵も生まれてくる。学ぶ心が繁栄へのまず第一歩なのである。

一流の人材ばかり集めると会社はおかしくなる。世の中、賢い人が揃っておれば万事上手くいくというものではありません。賢い人は、一人か二人いればたくさんです。

真実を語れば、昨日言うたこととまるっきり変わったことでも、それは説得力がある。

勤勉の習性は、何にもまして尊いものに思われる。勤勉は喜びを生み、信用を生み、そして富を生む。人間のいわば一つの大事な徳である。

まず汗を出せ。汗の中から知恵を出せ。それができない者は去れ。

すべての人の知恵が集められ、融合調和されて高い叡智となる時、人間は自然の理法を解明し、すべての物事の善悪を正しく判断し、誤りなく是非を定め、それによって王者として万物を支配活用して、調和ある繁栄を生みだすことができるのです。まさに衆知こそ、人間の偉大さを発揮させる最大の力だといわなくてはなりません。

販売にあたっては、いかにすればお得意様に喜んでいただけ、どういう接し方をすればご満足願えるかを考えることに尽きる。妙案奇策のあまりない販売の世界の中で特色を発揮するために、何が基本になるかというと、お互いの誠心誠意である。そして話す言葉ににじみ出る気持ちが、何よりも大切である。

ビジネスマンは皆に愛されないといけない。

仕事に打ちこんでこそ味わえる境地がある。

100のうち一つ成功すれば、すべての成功につながる。

語らぬ木石、流れる雲、無心の幼児、先輩の厳しい叱責、後輩の純粋な忠言、つまりはこの広い宇宙、この人間の長い歴史、どんなに小さいことにでも、どんなに古いことにでも、宇宙の摂理、自然の理法がひそかに脈づいているのである。そしてまた、人間の尊い知恵と体験がにじんでいるのである。

信用は無形の力であり、無形の富。

常に本日開店の気持ちを忘れない。

一軒のお得意を守ることが百軒のお得意を増やす。

虫のいいことは、なるべく考えない方がいい。

今日の最善は、明日の最善ではない。

x私は社員に、私の会社は人をつくる会社であって、電器製品は人の次につくるものだと言っているんです。人をつくるのが本業で、電器製品をつくるのは副業やと。

自分の力、さらには会社の力を超えた大きな仕事をしようとしても、それは多くの場合失敗に終わってしまうだろう。それでは企業本来の使命も果たせず、社会のマイナスにもなる。だから、そのような、その時々における自分の力の範囲で経営を行い、社会に貢献していく、いいかえれば、適正経営という考え方が極めて大切である。

88歳のオレがまだ働いているのに、64歳で退くなんて早い。

何年働こうがその会社が腰かけだと思っている限りは、何も身に付かない。だけど3カ月であっても、丁稚になりきる。毎日そういう気持ちでやれば、得るものは大きい。

私どもはあまり難しく考えず、ごく平易に考えてやっていくことにしています。というのは、甘いものが好きな人には甘いものを食べてもらう、辛いものが好きな人には辛いものを食べてもらう、きわめて平凡な原理と申しますか、そういうことで仕事をしています。

発展途上国に進出する場合、賃金が安くコストも安くなる、だからそこでつくったほうが得であると考え、進出している国は1カ所もございません。それは第2に考えております。第1にはそこでつくったほうがその国のためになる、という考えでやっております。これを私どもの基本的な方針としています。だいたいそういうところであります。

経営者の決断ということに関して言えば、とらわれた心を持って事を判断してはいかんということです。名誉欲にとらわれたり、世間の評判にとらわれたりしない。そういうものにとらわれないで、笑えば笑え、自分は正しい道を行くんだという強さが一面になかったらいけませんな。

ただ単に自分に与えられた仕事のみをやっていればよいと考えて毎日を過ごしていたら、あまり楽しさを感じることもできないでしょうし、ものごとを見る視野も限られてしまうと思います。

褒めるということはいたわりであり、お互いの人間同士をしっかり結びつけるひとつの大切な絆ではないかと思うのです。

今日、よく耳にする言葉に「インテリの弱さ」ということがある。これは、インテリには、なまじっかな知識があるために、それにとらわれてしまい、それはできないとか、それはどう考えても無理だと思い込んでしまって、なかなか実行に移さないという一面を言った言葉だと思う

私の少年時代は、むしろ小僧時代という呼び方が当たっているかもしれない。家運の傾いた家に育った私には、幼い時の楽しい思い出は少なく、苦労の思い出だけが多い。

一流メーカーと堂々と競争して独自の技術力でナショナルのハイパー乾電池が世に出たことは、私にとってまことに嬉しいことであった。この成果は、単に相手に勝てばよいという気持ちから生まれたものではなく、お互いの切磋琢磨によって、少しでも良いものを社会に供給したいと願う、全員の熱意と真剣味が、このような成果を世に示したのだと思う

精神的には何歳になろうとも、青年時代と同じ気持ちを持ち続けることができるはずだ。その精神面での若さというものを決して失いたくないというのが、かねての僕の願いなのである。

製品のレベルを高めるために、松下独自の技術でやるか、外国の技術を導入するかの選択を迫られた場合は少なくなかったが、いずれの場合にしても、松下独自の技術を基礎にどの道を選んだら社会のためになり、人々に喜ばれるかということを最終的な尺度にして態度を決めた。

土俵の何百倍かの努力を、毎日たゆまずやってはじめて、1分の土俵で勝負を決する際に効果が表れる。

賽の河原の小石は崩れても、仕事の小石は崩れない。些細なこと、平凡なこと、それを積み重ね積み重ねてきて、その上に自分の知恵と体験とを加えてゆく。それではじめて、危なげのない信頼感が得られるというものであろう。

仕事には知恵も大事、才能も大事。しかし、もっと大事なことは些細と思われること、平凡と思われることも疎かにしない心がけである。

私はこの歳になっても、会社で大きな影響力を持っています。影響力を持つ人間は毎日、私利私欲を抑えるために葛藤しないといけない。私利私欲が表に出てくると、会社は潰れます。

部下の良さ、偉さがわかるか。自分の部下が100人いるなら、自分の偉さは本当は101番目なんだと思える人が真のリーダーだ。

ひと言でいって、指導者とは責任をとるということです。責任をとれない人は、指導者たる資格はない。昔は、指導者の心得というのは、みんなのために死ぬということでした。

x社員一人ひとりが、「社員という稼業」の経営者であれ。

「これはこんなものだろう、これでいいんだろう」こういうことで、みずからそれで限界をつくってしまえば、一歩も進歩することができないだろう。

資本をつくるよりも、人を育てることのほうがはるかに難しいのではないでしょうか。

軍師の言うとおりにしているのでは、大将はいらない。軍師の言うとおりやるか、こういうふうにやれとか、それを決定する才能が経営者の条件。

私は小企業の経験も、中企業、大企業の経験もしてきましたが、率先垂範第一ということは、まったく企業の大小を問わず共通にいえることだと思います。

一挙に事を決するということを行なえば、必ずどこかにムリを生じてくる。

経営のコツここなりと気づいた価値は百万両

企業の成功の50パーセントは理念である。

きみな、赤字というのは、人間の体で言うたら、血を流してるのと一緒や。体から血が流れっぱなしやったらどうなる?死んでしまうわな。死んだらいかんから、血を止めないかんな。

社長の熱心は、社員にうつる。熱心にやっておるから、皆がそうなる。我がことのように、皆がやっていくようになる。

何年も同じことをやっている会社は落伍してしまう。

経営というものはだいたいは、社長の責任において、どうにでもなっていくもの。

経営者はどんな場合でも、経営意欲を失ったらいけない。希望を持ち、希望を持たせてやらなければ。

人間には短所がたくさんある。その短所をあげつらって直すよりも、その人の長所を伸ばしてやることのほうが、人間を成長させる。

社員はお得意さまである。感謝の気持ちを持って接することが大切。

君、社長になったからには思い切りやりなさい。間違ったと思ったら、素直に謝って直したらいい

物事がうまくいった時には「運がよかった」と思え。

部下を抜擢するときは、運が強いかどうかを見る。難しい問題にぶつかったときに面白がれるヤツは、運が向く。

あなたは血の小便をしたことがあるか。それぐらい熱心にやらないと、そう簡単に成功するものではない。

利益を上げるためには仕入れ値以上の価格で売る。また借金をする前に、まず集金に全力を注ぐのが本当で、それでもなお資金がいるときに、初めて他から借りるべきでしょう。それが雨が降れば傘をさす、天地自然の理に従った姿です。言葉に表してしまうと極めて簡単で、当たり前のことのように思われますが、この至極簡単、当たり前のことを適時適切に実行するというところにこそ、商売なり経営の秘訣があるといえるのではないでしょうか。

悪い時が過ぎれば、よい時は必ず来る。おしなべて、事を成す人は、必ず時の来るのを待つ。あせらずあわてず、静かに時の来るを待つ。時を待つ心は、春を待つ桜の姿といえよう。だが何もせずに待つ事は僥倖を待つに等しい。静かに春を待つ桜は、一瞬の休みもなく力を蓄えている。たくわえられた力がなければ、時が来ても事は成就しないであろう。

ぼくが奉公している時分に一人前になるためには、小便が赤くなるくらいにならないとあかんのやそういうことを二、三べん経てこないことには、一人前の商売人になれんぞということを、親方から聞いた。どういうことかというと、商売で、心配で心配でたまらん、もう明日にでも自殺しようかという所まで追い込まれたら、小便が赤くなるという。そういうようなことをしてきて初めて一人前の商売人になる。だから尋ねるんやが、あなた、儲からん儲からん言うけど、小便赤くなったことあるか?

企業は存在することが社会にとって有益なのかどうかを世間大衆から問われていますが、それに答えるものが経営理念です。つまり、経営者は他から問われると問われざるとにかかわらず、この会社は何のために存在しているのかそしてこの会社をどういう方向に進め、どのような姿にしていくのかという企業のあり方について、みずからに問い、みずから答えるものを持たなくてはならない。言い換えれば、確固たる経営理念を持たなくてはならないということです。

鳴かぬなら、それもまたよし、ホトトギス。

血の小便が出るまで苦労したのでしょうか。

人間に寿命があるように、われわれの人間にも、それがいつのことがわからないにしても、やはり一つの寿命があると言えるのではないかと思う。だからといって、努力してもつまらないと放棄してしまうようでは、人間でいうところの天寿を全うせしめることはできない。これはいわば人間はやがて死ぬのだから不摂生、不養生の限りを尽くすのと同じであろう。

僕は会社というもの、あるいは社会というものは、人間なり人生について教わる学校だと考えてみたらどうかと思うのです。この学校にはいろいろな人間がいて、様々な人生模様が繰り広げられている。学ばなければならないことは無限にある。そう考えれば、人生を学び人生を探求するために、何でも進んで取り組もう、吸収していこう、そういう意欲も湧いて、日々楽しさも生まれてくるのではないでしょうか。

会社の経営でも何でも、素直な心で見るということが極めて大事であると思う。そうすれば、ことをやっていいか悪いかの判断というものは、おのずとついてくる。岡目八目というけれど、渦中にいる自分にはなかなか自分というものがわからない。だから意地になってみたり、何かにとらわれたりして、知らず知らずのうちに判断を誤ってしまう。やはり自己観照ということが大事である。とくに経営者が決断するときには、この心構えが不可欠のように思う。

人間、ときには思わぬ失敗をすることもある。失敗したことに気がつけばすぐに改めるのは当然だが、この場合大事なことが一つあると思う。それは何かというと、改めるということからさらに一歩進んで、まったく新しいものを生み出すということである。そのようにすれば、失敗というものは、むしろ大きな発展につながることにもなるだろう。

城の石垣を見ると、そこには大きな石もあれば、小さな石もあります。それらは、大きな石のほうが小さな石より大きな役割を果たしているかといえば、そうではなく、大きな石も小さな石もそれぞれの必要に応じて役割を果たしているのです。そうしてはじめて崩れにくく強固な石垣になるのです。小さな石も大きな石も同様に重要です。

全世界の共通の力でいい物資をだんだん安くしていく。そして満ち足りた世の中にしていく。そこに、生産の使命がある。現に水道の水はそういうふうになっているではないか。そう考えると勇気が出る。金儲けするとか、個人が成功するとか━━むろんそういうことも感情的にうれしくないこともないけれども、そんなことは問題にならないほど、この生産使命は貴いものを持っている。だから心塊を打ちこんでやるという正義感と希望が生まれてくる。これが私の水道哲学である。

すべての物事があわせもつプラスの面とマイナスの面。そのプラスの面に目を向けて、みずからの幸せ、社会の発展につながるよう努めていく。そうすれば、苦労や悩みが消えて、ことごとく、自分の人生の糧、社会の発展の糧となる姿も生まれてこよう。そのような考え方に立てば、本来、苦労や悩みなどはない。本来、ないものがあるのは、自分が何かにとらわれた考え方をしているからだということなのかもしれない。

経営者の使命感が、社員を育てる。

企業は社会の公器。

成功の要諦は成功するまで続けることにある。

毎日が新しく、毎日が門出である。

いかなる事態にも、わが心を失うまい。

窮状に陥っても悲観しないことです。自分は財産が一瞬にして無くなったことがありました。しかも莫大な個人負債ができたんです。普通は首でも吊ってしまわなければならないほどの困難な状態ですわ。しかしこれでも死んでいる人よりましや、弾に当たって死んだ人もたくさんあることを思えばぼくは恵まれてる、こんなに恵まれている自分は幸せや、ありがたいことや、そう思ったら悲観することはない。それで歓喜をもってこの困難に取り組んでいこうと考えてやってきたと思うんですよ。

わからなければ、人に聞くことである。

ある時、宗教家に会ってお話を聞いたんです。そうしたら、もっと大きな立場に立たなければ駄目だと言われた。小さな悩みでなく、もっと大きな悩みを救うのだ、大きな使命が仕事の上にあるんだと。私はそれまでは遠慮しながら仕事をやってきたんだが、今度は使命感に立って競争するんだと理解したわけです。その使命とは、広い社会の繁栄ということですね。それからは、小さな悩みがなくなって仕事も堂々とできるようになったんです。

競争が激しくなると、つい目先にとらわれて、莫大な景品をつけたり、無謀な値引きなどを考えるようになる。しかしこうした方法で市場を確保できると考えるのは、人間性を軽視した行為と言わねばならない。人の好みはさまざまであり、それを目先だけの方法で独占しようとしても、成功するものではない。そこに世間の広さがあり、また妙味もあるわけである。

世の中には秘訣とかコツとか、それさえ心得ていれば何でもできるという当意妙法なんて絶対にありえない。私に言わせると人間万事、世の中すべては、天の摂理で決まるのが90%、あとの10%だけが人間の成し得る限界だと思う。私の言いたいことは、「絶対に無理をしない」ことなのである。宇宙大自然に逆らわず、むしろ宇宙大自然に溶け込んで、これと一体になりきってしまう。これが人間の本当の姿であり、その結果あらわれてくるものが、世の中でいう成功とか成就とか、あるいは億万長者ということになるのではなかろうか。

人は様々です。短気な人もいれば気の長い人もいる、緻密な人もいれば大雑把な人もいる。理論派もいれば人情家もいる、というようにそれぞれの持ち味が皆異なります。しかも、同じ人でも心というものは刻々と動いて、千変万化の様相を呈しています。ですから、自分の考えを伝えようとすれば相手の人がどのような人で、いまどのような心の状態にあるかよく知ったうえで、その人に一番受け入れてもらいやすいような言い方を工夫する必要があります。

24歳の春、私は電灯会社の検査員に昇格した。非常に楽な仕事で、2、3時間もあれば済んでしまう。ところがこの楽な役に回ってみると不思議にいままでのように仕事に熱が入らず、なんとも物足らない気分をもてあますようになった。ちょうどその少し前、私は新しいソケットをつくろうと研究していた。どうにかしてソケットをモノにしたいという気が湧いてきた。何分若いだけに気が早い。主任が止めるのも聞かずにさっそく辞表を出した。

いままでは世間の通念通りの商売をやってなんとか上手くいっていたが、次第にこれでは物足りないという気持ちが出てきた。いったい生産者の使命はなんだろう、こんなことを連日夜遅くまで考えた結果、私なりにひとつの信念が生まれた。それは簡単にいうと、この世の貧しさを克服することである。たとえば水道の水はもとより価のあるものだ。しかし道端の水道を人が飲んでも誰もとがめない。これは水が豊富だからだ。結局生産者はこの世に物資を満たし、不自由をなくすのが務めではないのか。

海外との競争に打ち勝とうとするには、私はどうしても週2日の休みが必要になってくると思うのです。どういうわけかと申しますと、非常に毎日が忙しくなって、いままでゆっくり電話をかけていたというようなことでも、ゆっくりかけていられない。3分間かけていたものを、1分くらいで済ますように、しかもそれで用件がちゃんと果たせるように訓練されなければならないのです。工場生産もまたその通りです。つまり8時間の労働では相当疲れるということになります。ですから、5日間働いて1日は余分に休まなければ体はもとに返らないということになろうかと思います。アメリカはすでにそうなっています。そして、日本の何倍かの一人あたりの生産量をあげております。

電算機メーカーは、日本では専門のがっちりした会社が1、2社あればよい。総合メーカーが片手間でやる仕事ではないように思う。いままでのことの成り行きでここまで来たが、ここで意地になってはいけない。素直な心で、自己判断、自己観照をしなければならない。そう考えてじっと耐えていたら、1年もしないうちに、「松下は賢明やった」という評判に変わっていったのである。

当時、政府に200トンの木造船の生産計画があり、大阪府にもこれを割り当ててきた。結局、これを松下でやることになった。電器屋が船をつくるというのだからまことに妙ちきりんなものだが、それでも1日1隻を目標に半年ほどのうちに工場を建ててしまった。一心とは恐ろしいもので、町工場の古い機械をほごして持ってきたような設備でも、夢中になってやっているうちに6日に1隻ずつできるようになり、終戦までに56隻を水に浮かべた。

「これは背水の陣を敷くことだ。製品の真価を知ってもらうために小売屋に無料で配ろう」と決心した。まず3人の外交員を雇い、資本の続く限り、大阪中の小売屋に2、3個のランプをおいて回り、うち一個はその際点火して「30時間以上もちます。品物に信用が置けるようになったら売ってください。その後安心が出来たら代金を払ってください」といって歩かせた。松下電器の運命をかけた販売だった。2、3か月すると小売屋から電話や葉書で注文が来るようになった。

素質プラス体験、それから来る知恵が大切。

きみ、商品を抱いて寝たことがあるか?

成功する会社は成功するようにやっている。

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