吉田松陰

吉田 松陰の名言集

日本の武士、思想家、教育者。山鹿流兵学師範。

一般的に明治維新の精神的指導者・理論者・倒幕論者として知られる。

私塾「松下村塾」で、のちの明治維新で重要な働きをする多くの若者に思想的影響を与えた。

敵が弱いように、敵が衰えるようにと思うのは、皆、愚痴もはなはだしい。自分に勢いがあれば、どうして敵の勢いを恐れようか。自分が強ければ、どうして敵の強さを恐れようか。

多くの努力を注ぎ込んだことは、すぐにその功績を手中にすることはないかもしれない。しかし、全精力を集中して学んだものは生涯忘れないであろう。

志を持て、そして気力を養え。ただしそれだけでは学者にすぎない。旺盛な行動力を持って行動せよ。

貧賤をもってこれを軽蔑する者は、必ず富貴をもってこれに諂屈す。

人間には精気というものがあり、人それぞれに精気の量は決まっている。この精気なるものは抑制すべきである。抑制すればやがて溢出する力が大きく、ついに人間、狂にいたる。しかし、おのれの欲望を解放することによって、固有の気が衰え、ついに惰になり、物事を常識で考える人間になってしまう。

学問の上で大いに忌むべきことは、したり止めたりである。したり止めたりであっては、ついに成就することはない。

平凡で実直な人間などいくらでもいる。しかし、事に臨んで大事を断ずる人物は容易に求めがたい。人のわずかな欠陥をあげつらうようでは、大才の士は、もとめることが出来ない。

人を信ずることは、もちろん、遥かに人を疑うことに勝っている。わたくしは、人を信じ過ぎる欠点があったとしても、絶対に人を疑い過ぎる欠点はないようにしたいと思う。

自分の価値観で人を責めない。一つの失敗で全て否定しない。長所を見て短所を見ない。心を見て結果を見ない。そうすれば人は必ず集まってくる。

人間が生まれつき持っているところの良心の命令、道理上かくせねばならぬという当為当然の道、それはすべて実行するのである。

悔いるよりも今日直ちに決意して、仕事を始め技術をためすべきである。何も着手に年齢の早い晩いは問題にならない

至誠にして動かざるものは、未だこれ有らざるなり。

君子は何事に臨んでも、それが道理に合っているか否かと考えて、その上で行動する。小人は何事に臨んでも、それが利益になるか否かと考えて、その上で行動する。

大事なことを任された者は、才能を頼みとするようでは駄目である。知識を頼みとするようでも駄目である。必ず志を立てて、やる気を出し努力することによって上手くいくのである。

一つ善いことをすれば、その善は自分のものとなる。一つ有益なものを得れば、それは自分のものとなる。一日努力すれば、一日の効果が得られる。一年努力すれば、一年の効果がある。

みだりに人の師となるべからず。みだりに人を師とすべからず。

夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし。

英雄はその目的が達成されないときには悪党や盗人とみなされるものだ。世の中の人から馬鹿にされ、虐げられたときにこそ、真の英雄かどうかがわかる。

奪うことができないものは志である。滅びないのはその働きである。

世の中には体は生きているが、心が死んでいる者がいる。反対に、体が滅んでも魂が残っている者もいる。心が死んでしまえば生きていても、仕方がない。魂が残っていれば、たとえ体が滅んでも意味がある。

学問とは、人間はいかに生きていくべきかを学ぶものだ。

大器をつくるには、いそぐべからずこと。

だいたいにおいて、世間の毀誉というものは、あてにならぬものである。

死して不朽の見込みあらばいつでも死すべし、生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。

利をうとんずるといふ事は、必ずしも富を厭ひ貧を欲するといふ事ではない。貧富によりて少しも心をみださないといふことである。

どんな人間でも一つや二つは素晴らしい能力を持っているのである。その素晴らしいところを大切に育てていけば、一人前の人間になる。これこそが人を大切にするうえで最も大事なことだ。

教えるの語源は「愛しむ」。誰にも得手不手がある、絶対に人を見捨てるようなことをしてはいけない。

今の世の中、優れた人物がいないと人は言うが、上の者が優れている人物を好むということさえすれば、人物がいないことを心配する必要はない。

人を観察するのは、その人の目によってするのである。胸のなかが正しいか、正しくないかは、ひとみがはっきりしているか、暗いかによってわかるものである。

道を志した者が不幸や罪になることを恐れ、将来につけを残すようなことを黙ってただ受け入れるなどは、君子の学問を学ぶ者がすることではない。

人間はみななにほどかの純金を持って生まれている。聖人の純金もわれわれの純金も変わりはない

成功するせぬは、もとより問うところではない。それによって世から謗されようと褒められようと、自分に関することではない。自分は志を持つ。志士の尊ぶところは何であろう。心を高く清らかにそびえさせて、自ら成すことではないか。

17、18の死が惜しければ、30の死も惜しい。80、90、100になってもこれで足りたということはない。半年と云う虫たちの命が短いとは思わないし、松や柏のように数百年の命が長いとも思わない。天地の悠久に比べれば、松柏も一時蠅なり。

過ちがないことではなく、過ちを改めることを重んじよ。

花は満開となれば、やがて落ちる。太陽は南中すれば、やがて陰りはじめる。人は壮年を迎えれば、やがて老いていく。百年の間、必死で勉強すべきであり、ゆったりとくつろぐ暇などはない。

決心して断行すれば、何ものもそれを妨げることはできない。大事なことを思い切って行おうとすれば、まずできるかできないかということを忘れなさい。

学問ばかりやっているのは、腐れ儒者であり、もしくは専門馬鹿、または役立たずの物知りに過ぎず、おのれを天下に役立てようとする者は、よろしく風の荒い世間に出て、なまの現実を見なければならない。

賞誉されて忠孝に励む人は珍しくない。責罰されてもなお忠孝を尽す人物こそ、真の忠臣孝子である。武士たるものが覚悟すべきこと、実にこの一点にある。

学問をする眼目は、自己を磨き自己を確立することにある。

私心さえ除き去るなら、進むもよし退くもよし、出るもよし出ざるもよし。

法律をやぶったことについてのつぐないは、死罪になるにせよ、罪に服することによってできるが、もし人間道徳の根本義をやぶれば、誰に向かってつぐないえるか、つぐないようがないではありませぬか。

立派な人が大事にするのは、議論ではなく行動である。多言を費やすことなく、人としての誠をしっかり蓄えなさい。

宿命は、人の力や智恵が及ぶものではない。だから、この原因を天に任せ、天命というのである。天命であるからには、それは全て天に任せ、人は一途に人として踏み行うべき道を守りさえすればいい。

憂えたり、楽しんだり、気分の変化の原因は自分にあるのであって、物にあるのではない。

自分一身に降りかかる労苦を何とも思わないような人でなければ、どうして天下国家の人々を幸せにすることができようか。

人にはそれぞれ生まれつきの性質がある。だから、昔の心ある人に学び、自分に近いよい性質を自分のものとするべきである。

聖人・賢人の言行や教えを記した書を読む際に一番大切なことは、その内容に媚びへつらわないことである。

世間が褒めたりけなしたりすることは大抵、その実態と違うものである。

才能を伸ばし、人としての徳を身につけることは、辛く、苦しいことだ。

勉強しない人の気持ちには3つある。ひとつ目は、「年をとりました」と。ふたつ目は、「馬鹿ですから」と。そうでなければ、「私は才能が高く、もう学問は極めました」と。

読書というものは、最もよく人の心を変えるものである。書というものは、何と恐るべきものだろうか。

志をもっている人間は、何かを目にしたら、必ず心中に感じるものがある。

自分の生死を度外視してでも、言うべきことをただ言うのみ。

君子は、人として踏み行うべき義理の心が足りないことを恥じ、小人は、名誉がないことを恥じる

人の心というものは、苦しめば奮い立ち、思うようになれば、怠けてだらけてしまうものである

生を捨ててみれば、視界は雲なく露なくきわめて澄みわたり、世の現象がいかにもクッキリとみえ、自分が何をすべきかの道も、白道一筋、坦々として眼前にあります。

末の世において道義を実践したならば、必ずその時の人々から極端だといわれるであろう。もしまた、世人から極端だといわれるくらいでなければ、決して道義ではないのであって、すなわち世俗に同調し濁った世に迎合したものにすぎない。

学問は、自分の才能を見せびらかして、人を従わせるためのものではない。人を教育して、一緒によき人になろうとすることである。

今日死を決する安心は、四時の順環において得るところあり

天下のことをなすは、天下有志の士と志を通ずるにあらざれば得ず。

もし大将の心がふらふらしている時には、その下の将軍達にいくら知恵や勇気があっても、それを実際に使うことはできない

志を立てて始めたことは、全身全霊を尽くして行い、やめるのは死んだ後だけである。

恥を知らないということほど恥ずかしいことはない。

古より大業を成すの人は、おだやかで人と争わず、ゆったりとして物静かである。

凡そ生まれて人たらば宜しく人の禽獣に異なる所以を知るべし。

国家を治むるの要、民心を得るに在り。民心を得るの要、文徳を修むるに在り。

味方の協和が得られて、初めて地形の有利さも自然の条件も役に立つのである。それ故に国家の務めを論ずる場合には、まず味方の協和の問題を取り上げねばならない。

かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂。

立派な人の道において最も大切なのは義である。義は勇気によって行動に移され、勇気は義にふれることによりさらに大きく成長する。

政治を行う上で重要なことは、人々を鼓舞してやる気にさせ、自分から進んで努力しようという気持ちを持たせることだ。

志のある武士は困難な状況に陥っても、その達成のためには、死んでも溝や谷間に捨てられても構わないと覚悟するものだ。

大義のために人と絶交することになったとしても、その人の悪口を言うのは忍びないことである。やむを得ず国を去る事になったとしても自分は潔白だったというのは忍びないことである。

自分を正してから教えるならば、人はみんな従う。

倹約は義であり、公のためにするものだ。衣食財物を倹約して貯蓄し、仲間の困難を救うために使い、貧しい人に施すために使うものだ。ケチは利益を考えることであり私事である。人に与える衣食財物を惜しみ、欲深く人から奪い、使い果たすか、貯め込んだまま死ぬかのどちらかである。

たくさんの本を読むことで、名を残す立派な人となるのである。苦労を厭わずに努めることで天下国家の人々を幸せにできるのだ。

正しくある事ができるかどうか、事を成すことができるかどうかは、志があるかどうかによる。だから武士たる者は志を立てなければならない。志さえあれば、目標が遠く難しくても達成することが必ずできる。

心を尽くし、力を尽くして望めば、望んで獲得できなものはないし、挑戦して成功しないものなどないのだ。

他人が何と言おうと、死を求めることなく、死から逃げることなく、牢に入っては牢で出来ることをし、牢を出てはそこで出来ることをするだけだ。

もし名誉や地位を得たならば天下国家を良い方向へ導くのがよい。もし困窮したら、自分の身を正すのがよい。自分の身を正しくしたあとに天下国家を良い方向へ導くのがよい。

計画が失敗するほど志が堅くなる。天が我々を試しているのだ。失敗を気にする必要などない。

立派な人は何事にも道理にあうかどうかを考えてから行動に移す。つまらない人は何事にも得するかどうかを考えてから行動に移す。

やろうと思った事は、その日から始めるのがよい。年齢など気にすることはないのだ。思い立ったが吉日である。

志を立てるためには人と異なることを恐れてはならない、世俗の意見に惑わされてもいけない。

お正月にはどこでもつまらない遊びをするものである。そんなことより何かためになる本でも読んでもらいなさい。

仮にも志というものが立ったら、なすべきことで行うべきではない事柄はなく、また、それを行うべきではない土地はない。

師を求める前に、まず心から師につきたいという真摯な心が定まり、また、実事、つまり、このことを学びたいという具体的なことを確立させて、それから初めて師のもとを訪ね、師とすることを求めるべきである。

読書の効果というものは、昼となく夜となく、ちょっとした時間でも惜しんで励むのでなければ、その効果を上げることはできない。

つまらない人間の癖として、昔の心ある立派な人といえば、神様か、鬼か、天の人かと見なし、今の私どもとは、天と地ほども大きな違いがあると思っている。これは、自分を駄目なものと思い込み、将来を考えない、投げやりな態度の極みである。

私は「心は細心であることを望み、肝は大胆であることを望む」という言葉が好きである。

自分を正しくして、その後で人を教えるのであれば、どうして従わない人がいるであろうか。

地を離れて人なく、人を離れて事なし、人事を論ずる者は地理より始む。

彼の道を改めて我が道に従はせ難きは、なお我の万々彼の道に従ふべからざるごとし。

「国家とともに」という志がないならば、人ではないのである。

書を読む人は天下に満つれども、道を求むる者は絶えてなくして僅かにあり。

立派な殿様、賢明な将軍であるか、あるいは、馬鹿な殿様、愚かな将軍であるか否かは、日ごろの生活において決まることである。つまり、日ごろの言葉や行いはそれぞれその人の遺言、臨終の時のいいつけと一緒である。

身はたとひ武蔵の野辺に朽ぬとも留置きまし大和魂。

天下才なきにあらず、用うる人なきのみ、哀しいかな。

勇気というものがなければ、仁や智は何の役にも立たない。

立派な人物というものは、時間をかけてゆっくり成長するものあって、騒々しい状態では本物の立派な人物になることはない。

人と交際する際には、あるがままの心で接することが大切である。

何事であっても、人に対する思いやりや慈しみの心を動機としないのであれば、どうしてなし遂げることができようか。

賢明な君主や賢く優れた将軍など立派な上役というものは、まず心を決めるものである。上役の心が決まれば、部下たるもの、どうしてそれに従わないことがあろうか

何もせずに機会を失ってしまうのは、人の罪である。

人の精神は目にあらわれる。だから、人を見る時には、目を見ることが大切。

我は我が志を行わんのみ。

君子に大切なことは、志と肝だけである。志がなく、肝がすわっていなければ、わずかな才能や知識があったとしても、何の役に立つであろうか。

何事もならぬといふはなきものをならぬといふはなさぬなりけり。

学ゆるむべからず、一日をゆるめば、まさに大機を失せん。

才あれども勤めずんば、何をもって才を成さんや。

体は私なり、心は公なり公を役にして私に殉う者を小人と為す。

己に真の志あれば、無志はおのずから引き去る。恐るるにたらず。

宜しく先ず一事より一日より始むべし。

心ある立派な人の務めは、自分の身を修め、まごころを尽くすことにある。

あまり怒りよると、とうとう腹もなんにも立たぬようになる。

世に認められるかそうでないかは天命による。自分にとってはどうでもいいことである。自分が楽しいことをして楽しむ。それだけで満足なのだ。

志を立てることを全ての始まりとして、交流する相手を選び正しく立派な行為を学ぶ。そして、書を読み偉人の教えを学ぶ。これらが出来た後、立派な人となるのだ。

何事においても出来ないということはない。それは行動していないだけだ。

今は逆境だが、私には志がある。この地で過去いなかったような豪傑を一人二人見出し、天下に号令するような人物に育てることだ。

人の心は上の命令に従わず、上の好みに従うものである。今上の地位にある者はこの事をよく考え、安易な方へ流れる欲を絶ち、戦場に身を置いているような気持ちで自ら実践するならば、命令をしなくても自ら従う。

死んで朽ち果てることがないのならば、いつでも死ぬがよい。生きて大志を果たせるならば、いつでも生き続けるがよい。

私のことを知るということは、私の志を知り、それに帆を張り大きくすすめていくということだ。

学問をする上でしてはならないことは、やったりやらなかったりすることだ。

私は人を信じて失敗することがあっても、人を疑って失敗することは絶対無いようにしたい。

剛直でくじけず、自分を信じてくれた人に背かなければ、不幸にも、うまくいかなかったとしても、自分を信じてくれる者はますます多くなり、再び立ち上がった時には、思いをなし遂げることが必ずできる。

名誉や批判などは全て天命である。私の問題ではない。

大将は心が定まっていなければならない。もし大将の心が定まっておらず、ふらふらしている時には、その下にいくら能力がある者がいようとも実際に力を発揮することはできない。

死して後に止むという言葉は、意思が強く忍耐強く、決断力があり、断固としてその志を変えないという意味である。

立派な人の行いは真面目で、正直であることが大切である。人を欺き、自分を偽る事は恥である。公平で正しい態度は全てここから始まる。

花は満開となればやがて落ちる。人は壮年になれば、老いていく。百年の間一生懸命努力が必要で、遊んでいる暇などないのだ。

一ヶ月でできなければ、二ヶ月かけてでもこれを成し遂げたい。二ヶ月でもできなければ、百日かけてでもこれを成し遂げたい。それでも成し遂げられないのであれば、出来るまでやめない。

目前の安泰は一時しのぎと知れ。百年の時は一瞬にすぎない。君たちは、どうかいたずらに時を過ごすことのないように。

私は最初から、立派な心ある人物たらんとの志を立て、自分を正しくして、天下国家を正しくしようと思っている。もしも、このような生き方をして、それがうまくいかず、無駄な死に方をしたとしても、私は決して後悔はしない。

士たるものの貴ぶところは徳であって才ではなく行動であって学識ではない。

我が身を正すという志を果たして後、国家全体を善導することができる。

君子の交わりは淡しうして変ぜず、小人利欲の交わりは濃き故に久しからずして変ず。

今人、大眼目読書人もっともはなはだし。

利を争えば乱を長ずること、自然の勢いなり。

心の中に思うことがある者は、外の事物に対して感じやすいものである。

人生というものは極めて短いものであり、夢、幻のようなものである。誹りを受けることも、褒められることも一瞬である。栄えることも衰えることも瞬時である。はかない人生である中で、ひとつだけでいい、永遠に朽ちない事柄をなし遂げられれば十分である。

志を立てたならば、まずひとつのことから、思いついたその日から始めるべきである

生死は度外に置きて、ただ言うべきを言うのみ。

小人が恥じるのは自分の外面である、君子が恥じるのは自分の内面である。人間たる者、自分への約束をやぶる者がもっともくだらぬ。死生は度外に置くべし。世人がどう是非を論じようと、迷う必要は無い。武士の心懐は、いかに逆境に遭おうとも、爽快でなければならぬ。心懐爽快ならば人間やつれることはない。

一日一時を記さば、一年にして三百六十時を得、一夜一時を怠らば、百歳の間三万六千時を失う。

思想を維持する精神は、狂気でなければならない。

今日の読書こそ、真の学問である。

どんな小さなことでも正しいか正しくないか、よいか悪いかという点において信念を失わないという頑固者でなければ、何をさせてもちょっとしたことしかできず、しっかりとしたことを行うことはできない。

およそ学をなすの要は己がためにするにあり。己がためにするは君子の学なり。人のためにするは小人の学なり。

身体が死滅しても、その精神が死んでいないものは、昔の聖人や賢者らであり、これらは永遠に朽ちることのない人である。身体は死滅していないが、精神が死んでいるのは、今のくだらない人間の類であり、生きながら死んでいる人である。

つまらない人が見るのは形である。立派な人が見るのは心である。

全ての能力が備わっていることを一人に求めてはいけない。小さな間違いを理由に人を捨てていては、素晴らしい才能を持った人を得ることはできない。

人を用うるの法、大才能の人は始めより大任重職を命ず。しかしてその人また自ら奮励し、大いにその忠思をのぶること、なお時雨してこれが用たらず。

同じではない人を同じにしようなどとせず、いわゆる、その人の優れた才能を育てることに努めるべきである。

世の中のことは、何であっても、全て自分の望み通りになるということは大変難しい。

人には賢い人、愚かな人がいるとはいえ、それぞれひとつやふたつの才能がない人はいない。

得ることが難しく、失いやすいのは時間である。

学というものは進まざれば必ず退く。故に日に進み、月に漸ゆることなくして、始めて学というべし。

順境にある者は怠りがちである。また、逆境にある者は励みやすい。

創業は難しいようで易しい、守成は簡単に見えて難しい。

材なきを憂へず、その材を用いざるを憂う。

聖人の胸中は常に多事にして楽しまず。

士は過ちなきを貴しとせず、過ちを改むるを貴しとなす。

山は樹を以って茂り、国は人を以って盛なりと。

賢者は議論よりも行動を重んじる。

つまらぬ名言を費すよりも、至誠を積み蓄えなさい。

本当に人としての道に志したものにとっては、飲屋街で遊んだり、詩や酒に狂うというような暇は絶対にない。

私は才能がないので、ひょっとしたら失敗することもあろう。しかし、常日頃の志は最後までくじけることはない。

こまごまとしてわずらわしい規則や礼儀を作るよりは、君子が自ら模範を示して国民を教化する方が優っている。

士が重んじるのは人徳であって、才能ではない。実際の行動であり、学問ではない。

人はただ真なれ。真、愛すべく敬すべし。

親思う心にまさる親心。

仁人は天下に敵なし。

満開となれば、やがて花は落ちる。

志を立ててもって万事の源となす。

豪傑とは万事自ら創してあえて人の轍跡を踏まぬことなり。

積徳積善でなくては大事は出来ず。

古より議論は易し。

事をなすは誠にあり。

賢母あらば賢子あり。

進むこと鋭き者は、退くこと速かなり。

聖人もとより苛数を以て人を責めざるなり。

要は内に省みてやましからざるにあり。

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