アインシュタイン

アルバート・アインシュタインの名言集

人生には、二つの道しかない。一つは、奇跡などまったく存在しないかのように生きること。もう一つは、すべてが奇跡であるかのように生きることだ。

理詰めで物事を考えることによって、新しい発見をしたことは、私には一度もない。

誰もが天才だ。しかし、魚の能力を木登りで測ったら、魚は一生「自分はダメだ」と信じて生きることになるだろう。

われわれが進もうとしている道が、正しいかどうかを、神は前もって教えてはくれない。

人間性について絶望してはいけません。なぜなら、わたしたちは人間なのですから。

人生を楽しむ秘訣は普通にこだわらないこと。普通と言われる人生を送る人間なんて、一人としていやしない。いたらお目にかかりたいものだ。

たとえ国家が要求したとしても良心に反することは決してしてはならない。

一見して人生には何の意味もない。しかし一つの意味もないということはあり得ない。

神の前において人は皆、同等に賢く、同等に愚かである。

過去から学び、今日のために生き、未来に対して希望を持つ。大切なことは、何も疑問を持たない状態に、陥らないようにすることである。

人に対して正しく賢明な助言をすることはできる。しかし、自分が正しく賢明に振る舞うことは難しい。このことわざには真実がある。

信念は推進力としては役に立つ。しかし、調整役としては役に立たない。

精神を大切にするというのなら、それとつながっている身体も大切にしなければいけません。

散らかった中から、簡素さを見つけよ。

あなたがたの人間性を心にとどめ、そして他のことを忘れよ。

第三次世界大戦がどのように行われるかは私にはわからないが、第四次世界大戦で何が使われるかはお教えできる。石だ!

人間の邪悪な心を変えるより、プルトニウムの性質を変えるほうがやさしい。

深く探求すればするほど、知らなくてはならないことが見つかる。人間の命が続く限り、常にそうだろうとわたしは思う。

専門的な知識を習得することではなく、自分の頭で考えたり判断したりする一般的な能力を発達させることが、いつでも第一に優先されるべきです。

核連鎖反応の発見が人類の滅亡につながるわけではない。それはマッチの発明が人類の滅亡につながらないのと同じだ。

寛容であるということは、他者の行動や気持ちに無関心でいるということではありません。

創造的な表現をすることと知識を得ることに喜びを感じさせることが、教師にとって最高の技術です。

想像力は、知識より大切だ。知識には限界がある。想像力は、世界を包み込む。

学ぶこと、そして一般的に、真実と美とを追求することは、我々が一生こどもでいることを許されている活動範囲である。

すべての人は、目に見えない笛吹きの曲に合わせて踊っている。

手段の完璧さと、目的の混乱。この2つが、私達の主な問題に見える。

何も考えずに権威を敬うことは、真実に対する最大の敵である。

無限なものは二つあります。宇宙と人間の愚かさ。前者については断言できませんが。

いかなる問題も、それをつくりだしたときと同じ意識によって解決することはできない。

私は、それほど賢くはありません。ただ、人より長く一つのことと付き合ってきただけなのです。

すべての物理学の理論は、数式は別にして「子供達でさえも理解できるように」簡単に説明するべきである。

数学は確かによくできている。しかし、自然は常に私たちの鼻をつかんで引きずり回す。

世界について最も理解が出来ないことは、世界が理解できるということだ。

人間とは、私たちが宇宙と呼ぶ全体の一部であり、時間と空間に限定された一部である。

なぜ人は、仕事というものを、ひどく真剣に考えるのでしょう。不思議です。誰の為に?自分の為でしょうか?人はすぐに死んでしまうのに。

人は海のようなものである。あるときは穏やかで友好的。あるときはしけて、悪意に満ちている。ここで知っておかなければならないのは、人間もほとんどが水で構成されているということです。

私は、先のことなど考えたことがありません。すぐに来てしまうのですから。

結果というものにたどり着けるのは、偏執狂だけである。

残念ながら、ご要望にはお応えできません。私はまだ、分析されないままの暗闇の中にいることを望むからです。

私はいま孤独の中に生きています。若者には苦痛ですが、成熟した人間にとっては、甘美な孤独の中に。

ある年齢を過ぎたら、読書は精神をクリエイティブな探求から遠ざける。本をたくさん読みすぎて、自分自身の脳を使っていない人は、怠惰な思考習慣に陥る。

知的な馬鹿は、物事を複雑にする傾向があります。それとは反対の方向に進むためには、少しの才能と多くの勇気が必要です。

あなたは本当にそう思っているんですか?他人によって永遠の幸せが得られるなんて。いくらその他人が最愛の男だったとしても。私は自分の経験から男というものをよく知っています。だって、私もその一人なんですから。男に期待しすぎてはいけません。

自分自身の、そして他の人々の人生に意味を見いだせない人は、単に不幸であるばかりでなく、生きるのに向いていないといえるでしょう。

人は、自分だけのために小さな世界を創造します。そして、変化し続ける真の存在の偉大さと比較したら悲しいほどに無意味だというのに、自分を奇跡のように大きく重要であると感じるのです。自分で掘った穴に潜むモグラのように

思考とは、それ自体が目的である。音楽と同じように。

ものごとはできるかぎりシンプルにすべきだ。しかし、シンプルすぎてもいけない。

昨日から学び、今日を懸命に生き、明日への希望を持て。大切なことは問うことをやめないことだ。

私は毎日、何百回となく自分の精神と肉体がすでに亡くなった人々や、生きている人々の労働によって支えられていることを思い返している。だから、私も同じように人々のために献身しなければならないのだ。

どうして自分を責めるんですか?他人がちゃんと必要な時に責めてくれるんだからいいじゃないですか。

優れた科学者を生み出すのは知性だと人は言う。彼らは間違っている。それは人格である。

蝶はモグラではない。でも、そのことを残念がる蝶はいないだろう。

男は結婚するとき、女が変わらないことを望む。女は結婚するとき、男が変わることを望む。お互いに失望することは不可避だ。

自分自身のことについて誠実でない人間は、他人から重んじられる資格はない。

誰かの為に生きてこそ、人生には価値がある。

手段は完璧で、目的は混乱している。というのが、私の見た現代の特長だ。

私は頭が良いわけではない。ただ人よりも長い時間、問題と向き合うようにしているだけである。

人生における成功をA、仕事をX、遊びをY、そして口を閉じることをZとすると、A=X+Y+Zが成立する。

重要なことは、疑問を止めないことである。探究心は、それ自身に存在の意味を持っている。

創造のコツは、それがどこから得たものかわからないようにすることだ。

間違いを犯した事の無い人というのは、何も新しいことをしていない人のことだ。

一度にすべてのことが同時に起こらないために、時間はただ存在する。

私には特別の才能はない。ただ私は、情熱的に好奇心が旺盛なだけだ。

私たちの生き方には二通りしかない。奇跡など全く起こらないかのように生きるか、すべてが奇跡であるかのように生きるかである。

私は未来のことを考えない。あっという間にやってくるからだ。

人類が人間としての尊厳を守り、生存を確保し、生きることの喜びを維持し続けたいなら、これらの偉人たちが私たちに与えてくれたものを、全力で守り続けなければなりません。

教えるということは、こちらが差し出したものがつらい義務ではなく貴重な贈り物だと感じられるようなことであるべきです。

兵役を指名された人の2%が戦争拒否を声明すれば、政府は無力となります。なぜなら、どの国もその2%を越える人を収容する刑務所のスペースがないからです。

同じことを繰り返しながら、違う結果を望むこと、それを狂気という。

知識人は問題を解決し、天才は問題を未然に防ぐ。

成功という理想は、そろそろ奉仕という理想に取って替わられてしかるべき時だ。

人が恋に落ちるのは、万有引力のせいではない。

神の前において我々は平等に賢く、平等に愚かである。

すべての宗教、芸術、科学は、同じ一つの木の枝である。

科学はすばらしいものだ。もし生活の糧をそこから得る必要がないのなら。

正規の教育を受けて好奇心を失わない子供がいたら、それは奇跡だ。

たとえ国家が要求しても良心に反することをしてはいけない

真実とは、経験という試練に耐え得るもののことである。

第三次世界大戦はどう戦われるでしょうか。わたしにはわかりません。しかし、第四次大戦ならわかります。石と棒を使って戦われることでしょう。

独創的な表現と知識の悦びを喚起させるのが、教師の最高の術である。

動物と仲良くしなさい。そうすれば、あなたは再び快活になり、何事もあなたを悩ませることはできないでしょう。

人間にとって最も大切な努力は、自分の行動の中に道徳を追求していくことです。私たちが内面的なバランス、そして存在そのものが、そのことにかかっています。行動に現れる道徳だけが、人生に美と品位をもたらします。

野望やただの義務感からは本当に価値のあるものは生まれません。それは、人や対象となるものへの愛と献身から芽生えます。

私は誰にも何も求めないので幸せでいられます。お金もどうでもいい。勲章も、肩書も、名誉も、私には何の意味もありません。称賛も欲しくありません。私に喜びをもたらすただひとつのものは、仕事、バイオリン、ヨットを別にすれば、ともに働いた人々への感謝だけです。

大事なのは問いかけをやめないことだ。好奇心にはそれなりの存在意義がある。

驚異に触れて足を止め畏敬の思いで洸惚と立ち尽くすことができなくなった人は死んでいるも同然である。その目は閉じられている。

天才とは努力する凡才のことである。

異性に心を奪われることは、大きな喜びであり、必要不可欠なことです。しかし、それが人生の中心事になってはいけません。もしそうなったら、人は道を見失ってしまうでしょう。

成功者になろうとするのではなく、むしろ価値のある人間になろうとしなさい

常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。

可愛い女の子と一時間一緒にいると、1分しか経っていないように思える。熱いストーブの上に一分座らせられたら、どんな一時間よりも長いはずだ。相対性とはそれである。

学べば学ぶほど、自分がどれだけ無知であるか思い知らされる。自分の無知に気づけば気づくほど、より一層学びたくなる。

この世は危険なところだ。悪いことをする人がいるためではなく、それを見ながら、何もしない人がいるためだ。

人の価値とは、その人が得たものではなく、その人が与えたもので測られる。

自分自身の目で見、自分自身の心で感じる人は、とても少ない。

挫折を経験した事がない者は、何も新しい事に挑戦したことが無いということだ。

学校で学んだことを、一切忘れてしまった時になお残っているもの、それこそ教育だ。

怒りは、愚か者の胸にしか住み着かないものだ。

どんな時にも私の歩んできた道を導き、折節の厳しい現実にも明るい気持ちで立ち向かえて来れた心がけは何か。第一に人を理解する優しさ、第二に真に美しきもの、第三に真理を求める心、この三つである。

美人にキスしながら安全運転ができる人間は、キスに十分集中していない。

ゲームのルールを知ることが大事だ。そしてルールを学んだあとは、誰よりも上手にプレイするだけだ。

我々に味わえる最も素晴らしい経験は、神秘だ。それは、真の芸術と真の科学を生み育てる基本的な感情である。

神は魔術師ではなく、科学者である。

恋に落ちることは、およそ人間のなしうる最も愚かな行為だ、とは言えませんが、重力に責任を負わせることもできないでしょう。

私たちが経験できる最も美しいものは神秘である。神秘はすべての真の芸術と科学の源である。

一見して馬鹿げていないアイデアは、見込みがない。

神はいつでも公平に機会を与えてくださる。

何かを学ぶためには、自分で体験する以上にいい方法はない。

私の学習を妨げた唯一のものは、私が受けた教育である。

愚者と天才の違いといえば、天才には限度があるということだ。

宇宙について最も理解しがたいことは、それが理解可能だということである。

シンプルで控えめな生き方が、だれにとっても、体にも、心にも、最善であると信じています

6歳の子供に説明できなければ、理解したとは言えない。

なぜなら、私たちは人間なのですから。

全体的破滅を回避するという目標は、あらゆる他の目標に優先せねばならない。

知性は方法や道具に対しては鋭い鑑識眼を持つが、目的や価値については盲目である。

神の前で、我々は等しく賢明であり、等しく愚かでもある。

手段は完全になったというのに、肝心の目的がよくわからなくなったというのが、この時代の特徴と言えるでしょう

人は「現実に直面したとき知性がいかに不十分であるか」ということをはっきりと知覚するに足るだけの知性は与えられている。

人は皆、自らの宇宙論を持っています。そして、誰もが自分の理論は正しいということができます。

人間の真の価値は、主に自己からの解放の度合いによって決まる。

好奇心はそれ自体に存在理由があります。永遠や人生や実在の不思議な構造といった神秘についてよく考えてみるなら、畏敬の念を持たずにはいられないでしょう。

過去、現在、未来の区別は、どんなに言い張っても、単なる幻想である。

私は心地よさや幸福などを人生の目的だと思ったことは一度もありません。私はこれらを「豚飼いの理想」と呼んでいます。

知恵とは、学校で学べるものではなく一生をかけて身につけるべきものです。

私の手元には、返事を出さなかった手紙ばかりがたまっています。人々はそのことで私に不満を抱きます。しかし、取り憑かれた人間はそうならざるを得ません。青年時代、私はここに座り込み、果てしなく思考し、計算し、奥深い秘密を解明しようとしていました。この偉大な世界と呼ばれる騒々しい世界には次第に興味を失い、世捨て人のようになっていったのです。

年老いて腰が曲がったものには、死は解放としてやってきます。自分自身が年老いて、死を最後には返さなければならない古い借金のようなものだと思うようになったいま、つくづくそう感じます

純粋な者が純粋さを見るところに、豚は汚れを見る。

私たちが体験しうる最も美しいものとは、神秘です。これが真の科学の源となります。これを知らず、もはや不思議に思ったり、驚きを感じたりできなくなった人は死んだも同然です。

新しいアイデアに対して開かれた精神は、決して元のサイズに戻ることはない。

感動することをやめた人は、生きていないのと同じ。

失敗したことのない者は、挑戦したことのない者だ。

知性は方法や道具に対しては鋭い鑑識眼を持っていますが、目的や価値については盲目です。空想は知識より重要である。知識には限界がある。想像力は世界を包み込む。私たちはいつか、今より少しは物事を知っているようになるかもしれない。しかし、自然の真の本質を知ることは永遠にないだろう。

宗教なき科学は不完全であり、科学なき宗教にも欠陥がある。

身を切るような体験を通して、私たちは学びました。合理的に思考したからといって、社会生活に生じる問題がすべて解決できるわけではないということを。

称賛による堕落から逃れる方法はただひとつ。仕事を続けることである。人は立ち止まって称賛に耳を傾けがちであるが、唯一成すべきは、称賛から目をそらし、仕事を続けること。それ以外の方法はない。

人生とは自転車のようなものだ。倒れないようにするには走らなければならない。

客観的に判断すれば、情熱的な努力によって人が真実からもぎとるものはとても小さい。しかし、この努力は自己という束縛から私たちを解放し、最も偉大な人々の一員にします。

私にはよいアイディアが浮かびますが、他の人もそうです。ただ、私の場合、幸運だったのは、そのアイディアが受け入れられたということです。

道徳は最も重要なことです。神にとってではなく、私たちにとって。

自分の目でものを見て、自分の心で感じる人間がいかに少ないことか。

知識は二つの形で存在する。ひとつは、本の中に、生命のない形で。もうひとつは、人の意識の中に、生きている形で。後者こそがとにかく本質的なものである。前者は絶対必要であるように見えるがたいしたことはない。

偉大な人々は、常に凡庸な人々からの激しい抵抗にあってきました。

私は未来のことについて決して考えない。未来はやがてやってくるのだから。

私はあなたが女性であるということを気にしていません。しかし大切なのは、あなた自身が気にしないことです。

私たちは皆、ほかの人々の仕事によって、食べるものや家を与えられています。ですから、それに対してはきちんと報酬を支払わねばなりません。自分の満足のための仕事だけでなく、人々に奉仕する仕事をすることによっても。さもなければ、どんなに欲求が質素であっても、寄生者と呼ばれるものになってしまうでしょう。

死はいずれやってくる。それがいつかなんて、どうでもいいじゃないですか。

私に畏敬の念を抱かせるものはふたつあります。星が散りばめられた空と、内なる倫理的宇宙です。

この世界を個人的な願望を実現する場とせず、感嘆し、求め、観察する自由な存在としてそこに向かい合うとき、我々は芸術と科学の領域に入る。

私には特別な才能などありません。ただ、ものすごく好奇心が強いだけです。

教育とは、学校で習ったことをすべて忘れた後に残っているものである。

私は人間関係の変わりやすさを知りました。そして、冷たさや熱さから身を遠ざけることを学びました。そうすれば、温度のバランスがかなりよくとれるので。

大切なのは、自問自答し続けることである。

ナショナリズムは小児病であり、人類にとってのはしかである。

この素晴らしい応用科学は労働を軽減し、生活をより豊かにしながら、なぜ我々に幸福をもたらしてくれないのか。答えは簡単である。我々がそれを有意義に利用するにいたっていないからである。

熱いストーブの上に一分間手を載せてみてください。まるで一時間ぐらいに感じられるでしょう。ところがかわいい女の子と一緒に一時間座っていても、一分間ぐらいにしか感じられない。それが相対性というものです。

数学における最も偉大な発見は「複利」である。

ドイツのことわざを思い出します。「人は皆、自分の靴のサイズでものごとを測る」。

心はときとして知識を超えた高みに上がることがありますが、どうしてそこに達したのかを証明することはできません。すべてに偉大な発見は、そのような飛躍を経たものです。

文明人の運命は、どれだけ力のある道徳を生み出せるかにかかってきています。

私が科学研究を行うのは、自然の不思議を理解したいという抑え難い願いからです。それ以外の感情が動機というわけではありません。

名声を得るにしたがって、私は愚かになっていきました。もちろんそれは、ありふれた現象です。その人そのものの姿と、他人がどうその人をとらえているか、あるいは少なくとも、どうとらえていると口に出しているかとの間には、あまりにも大きな隔たりがあります。しかし、そのすべてを機嫌よく引き受けなければなりません。

人々が努力して手に入れようとする陳腐なもの―――所有、物質的な成功、贅沢―――は、私には少年時代から卑しむべきものに思われてきました。

唯一の救いは、ユーモアのセンスだけです。これは呼吸を続ける限りなくさないようにしよう。

昨日は偶像視され、今日は憎まれ、唾を吐かれ、明日には忘れ去られ、明後日には聖人に列せられる。

大切なのは、疑問を持ち続けることだ。神聖な好奇心を失ってはならない。

仕事の3つのルール。乱雑さからシンプルなものを見つける。不和から調和を見つける。困難の中に機会がある。

私たちの前には、もし私たちがそれを選ぶならば、幸福と知識と知恵の絶え間ない進歩がある。それとも、私たちは私たちの争いを忘れることができないからといって、死を選ぶであろうか?私たちは人類として、人類に向かって訴える。あなたがたの人間性を心にとどめ、そしてそのほかのことを忘れよと。

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