司馬遼太郎

司馬 遼太郎の名言集

勇気と決断と、行動力さえもちあわせておれば、あとのことは天に任せればよい。

人間は、自然によって生かされてきた。古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。このことは、少しも誤っていないのである。

人間は、自然によって生かされてきた。古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。このことは、少しも誤っていないのである

男というものは思慮きわまれば、常識、情勢をもって判断すべきではない。男たる者の道をもって判断すべきだ。 2司馬遼太郎の名言

自分というものに学校というものは一切存在理由がなかった。自分にとって、図書館と古本屋さんさえあれば、それで十分であった。

日本人は均一性を欲する。大多数がやっていることが神聖であり、同時に脅迫である。

自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。

人の諸々の愚の第一は、他人に完全を求めるということだ。

人の一生というのは、たかが五十年そこそこである。いったん志を抱けば、この志にむかって事が進捗するような手段のみをとり、いやしくも弱気を発してはいけない。たとえその目的が成就できなくても、その目的の道中で死ぬべきだ。生死は自然現象だからこれを計算にいれてはいけない。

人間、ひたすらに頼まれるほど心の弱まることはない。

何でも思い切ってやってみることですよ。どっちに転んだって人間、野辺の石ころ同様、骨となって一生を終えるのだから。

何事か成し遂げるのは、才能ではなく性格である。

例えば、友達が転ぶ。「あぁ痛かったろうな」と感じる気持ちを、そのつど自分の中で作りあげていきさえすればよい。

妻が陽気でなければ、夫は十分な働きはできませぬ。夫に小言をいうときでも、陰気な口からいえば、夫はもう心が萎え、男としての気おいこみをうしないます。同じ小言でも陽気な心でいえば、夫の心がかえって鼓舞されるのです。陽気になる秘訣は、あすはきっと良くなる、と思いこんで暮らすことです。

世のためにつくした人の一生ほど、美しいものはない。

人として生まれたからには、太平洋のように、でっかい夢を持つべきだ。

君が天才であろうとなかろうと、この場合たいしたことではない。たとえ君が天才であっても、君は最高司令官に使われる騎兵であるにすぎない。要は君の使い手が天才であるかどうかということだ。

男が自分の技量に自信をもったときの美しさというものは格別なものだが、自らの位階に自信をもった場合は、鼻持ちならなくなる

人々にとって、志さえあれば、暗い箱の中でも世界を知ることができる。

おれは落胆するよりも、次の策を考えるほうの人間だ。

少年少女が、いまの一瞬を経験するとき、過去や現在のだれとも無関係な、真新の、自分だけの心の充実だとおもっているのです。荘厳なものですね。

議論などは、よほど重大なときでないかぎりしてはならぬ。もし議論に勝ったとせよ、相手の名誉をうばうだけのことである。

おれは、かつて、おれ自身に惚れこんだことがなかった。自分に惚れこみ、自分の才を信じて事を行えば、人の世に不運などはあるまい。

智恵よりも大事なのは覚悟や、と。覚悟さえすわれば、智恵は小智恵でもええ、浅智恵でもええ、あとはなんとかなるやろう。

志を守り抜く工夫は、日常茶飯の自己規律にある。

朱子学が江戸期の武士に教えたことは端的にいえば人生の大事は志であるということ以外になかったかもしれない。

若いころの大隈重信というのは、まだ一度も外遊したことがないが外国のうごきについてはじつに豊富な情報をもっていた。その情報源は雑多で、大蔵省や外務省の傭外国人であることもあれば、英国その他の公館員からきくことも。

地名には言霊が宿っているだけでなく、私どもの先祖の暮らしや歴史が刻印づけられていると思っている。

日本の昭和の半世紀というものは、変化のすさまじさという点で、人類史上、どの人類も経験しなかったものではないか。

長篠合戦の頃、すでに大量生産されるようになっていた鉄砲が、戦国時代の終わりとともに武器として姿を消してしまったことである。人々が飛び道具という最強の殺人手段と無縁であるというこの伝統は、文明開化や何度か之戦争を今日まで続いている。日本は四百年近く銃社会とは縁を切ったままである

人間は、鎖の一環ですね。はるかな過去から未来にのびてゆく鎖の。

私には、幸い、この世にたくさんのすばらしい友人がいる。歴史の中にもいる。そこには、この世では求めがたいほどにすばらしい人たちがいて、私の日常を、はげましたり、なぐさめたりしてくれているのである。

君たちは、いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。――自分に厳しく、相手にはやさしく。という自己を。そして、すなおでかしこい自己を。

人間は、人なみでない部分をもつということは、すばらしいことなのである。そのことが、ものを考えるバネになる。

共通しているのは、生命が短かかったこと、平明な文章を書くこと、一見おとなしい人であること。

心にコドモがいなくなっているオトナがたくさんいますが、それはもう、話すにも値しない人間のヒモノですね。

ほとんどの人は、永く生きたようなつもりでいながら、じつは語るに足るほどの体験は数件ほどもない。短編小説として搾りとれば三遍もできあがらない。

私はどうも、日常人としては権力がきらいです。本当にきらいです。

僕はそういう作られた物を見るのは嫌いなんです。自分のなかにできている老子さんがこわれるのがいやなんです。

食が英雄を成立させた。不幸にも食わせる能力をうしなうとき、英雄もただの人になった。

資料を読んで読み尽くして、その資料を読み尽くした後に出たこう透明なしずくをね。一滴二滴しずくが出てくるんですよね。それを書くんだ。

物事を利害で考えてゆこうという頭のはたらきは、じつに複雑な思慮や分析力を必要とするが、正邪のほうは判断も簡単で済み、しかもそれがことばであらわされるとき、短剣のような鋭さで相手に訴える

正義というのは、人間が人間社会を維持しようとして生みだしたもっとも偉大な虚構と言えるかもしれない。たしかに自然と現実から見れば、虚構にすぎない。が、その虚構なしに人間はその社会を維持できないという強迫概念をもっている。

衆人がみな善をするなら、おのれ一人だけは悪をしろ。逆も、またしかり。

男はどんなくだらぬ事ででも死ねるぞという自信があってこそ、大事を成し遂げられるものだ。

人間、不人気では何も出来ませんな。いかに正義を行なおうと、ことごとく悪意にとられ、ついにはみずから事を捨てざるをえなくなります。

自分の防衛に汲々としているようなことでは、大事が成せるか。

四、五十人も人数が集まれば、一人ぐらいは異論家はいる。いるのが当然でもある。その一人ぐらいの異論を同化できぬ己を恥じろ。

古来、英雄豪傑とは、老獪と純情の使いわけのうまい男をいうのだ。

世の既成概念を破るというのが、真の仕事である。

一つの概念をしゃべるとき、その内容か表現に独創性がなければ、男子は沈黙しているべきだ。

心を変えろ、心を。日本を背負う気になってみろ。その気になって背負えば、日本などは軽いものだ。いやそれがむしろ悲しい。病み呆けた老婆よりも軽い。

基準を学問という。基準のない人間は、人から信用されない。美でもない。美でもなければ人から敬愛されない。

相手を説得する場合、激しい言葉をつかってはならぬ。結局は恨まれるだけで物事が成就できない。

仕事というものは全部をやってはいけない。八分まででいい。八分までが困難の道である。あとの二分は誰でも出来る。その二分を人にやらせて完成の功を譲ってしまう。それでなければ大事業というものはできない。

地球を動かしているのは、思想ではなく経済だ。

事をなさんとすれば、智と勇と仁を蓄えねばならぬ。

奇策とは百に一つも用うべきではない。九十九まで正攻法で押し、あとの一つで奇策を用いれば、みごとに効く。奇策とはそういう種類のものである。

財政の独立なくては、思想の独立もなく、行動の自由もない。

小説というものは、迷っている人間が書いて、迷っている人間に読んでもらうものなのです。

鋭さを面にあらわして歩いているような男は才物であっても第二流だ。第一流の人物というのは、少々、馬鹿にみえている。

人間というものは、いかなる場合でも、好きな道、得手の道を捨ててはならんものじゃ。

人の世に、道は一つということはない。道は百も千も万もある。

世に生きものというのは、人間も犬も虫もみな同じ衆生で、上下などはない。

世の中の人は何とも云えばいへ。我がなすことは我のみぞ知る。

ともかく若い間は、行動することだ。めったやたらと行動しているうちに、機会というものはつかめる。

古今、物事を革新する者は多くはその道の素人である。

物事は両面からみる。それでは平凡な答えが出るにすぎず、智恵は湧いてこない。いまひとつ、とんでもない角度つまり天の一角から見おろすか、虚空の一点を設定してそこから見おろすか、どちらかしてみれば問題はずいぶん変わってくる。

私は、歴史小説を書いてきた。もともと歴史が好きなのである。両親を愛するようにして、歴史を愛している。

一生というものは、美しさを作るためのものだ、自分の。そう信じている。

男子は生あるかぎり、理想をもち、理想に一歩でも近づくべく坂をのぼるべきである。

名将の条件は、ひたすらに運である。

自分に厳しく相手には優しくとも言った。それらを訓練することで、自己が確立されていくのである。そして、「たのもしい君たち」になっていくのである。

偏見を持つな。相手が幕臣であろうと乞食であろうと、教えを受けるべき人間なら俺は受けるわい。

戦わずして敵の不意を誅するのが、上乗の戦さというものである。

日本的に理解された儒教とくに朱子学が江戸期の武士をつくった。朱子学によって江戸期の武士は志というものを知った。

岩倉は晩年語っている。孝明天皇毒殺事件といううわさが、明治後も、こんにちでさえ消えることなくささやかれているのは、この間の機微を物語っている。

人間には志というものがある。この志の味が人生の味だ。

日本列島を暗箱に入れたような体制かで、長崎は針で突いたような穴になった。知的感光能力さえあれば写真は写るのである。

楽天家たちは、そのような時代人としての体質で、前をのみ見つめながらあるく。のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。

歴史とはなんでしょう、と聞かれるとき、「それは、大きな世界です。かつて存在した何億という人生がとこにつめこまれている世界なのです。」と、答えることにしている。

何かを見たいというのが、私の創作の唯一の動機かもしれません

私が思うに、教育は人ですね。

文章の気分が心にのこればいい。

日本は不思議な国です。一度賞を取れば、何にでもコメントを求められるし、またその気になれば何にでも発言できるんです。 3司馬遼太郎の名言

ごほうびをもらってうれしいんですけど、小説というものは書生でないと書けない。違う気分になるといけないので、明日からは忘れます。

青春の思い出といえば、ふつう友人との間の思い出だから、図書館で友人もなく孤独でした。いま、自分の十代の間に何ごとかがプラスになったかも知れないということを考えてみると、いくらか考えても図書館しかない。学校は私にとって影響を与えてくれなかった感じです。

親分――英雄――は流民に食を保障することによって成立し、食を保障できない者は流民に殺されるか、身一つで逃亡せざるをえない。

人間、事を成すか成さぬかだけを考えておればよい。

金よりも大事なものに評判というものがある。世間で大仕事をなすのにこれほど大事なものはない。金なんぞは、評判のあるところに自然と集まってくるさ。

人よりも一尺高くから物事を見れば、道はつねに幾通りもある。

人の世に失敗ちゅうことは、ありゃせんぞ。

今は力を培養するときだ。その時機を辛抱できぬのは男ではない。

人間に本来、上下はない。浮世の位階というのは泰平の世の飾りものである。天下が乱れてくれば、ぺこぺこ剥げるものだ。

どうすれば戦わずして勝ちうるか、奇計異術では出来ない。誠をもって押してゆく以外にない。

わずかに他人より優れているというだけの知恵や知識が、この時勢に何になるか。そういう頼りにならぬものにうぬぼれるだけで、それだけで歴然たる敗北者だ。

人生は一場の芝居だというが、芝居と違う点が大きくある。芝居の役者の場合は、舞台は他人が作ってくれる。なまの人生は、自分で自分のがらに適う舞台をこつこつ作って、そのうえで芝居をするのだ。他人が舞台を作ってくれやせぬ。

人おのおのが志を遂げられる世の中に、したいものだなぁ。

一生に一度ぐらい手品もいいだろうが、物事にゃ実がなくちゃ人はついてこない。

時勢は利によって動くものだ。議論によっては動かぬ。

志を持って天下に働きかけようとするほどの者は、自分の死骸が溝っぷちに捨てられている情景をつねに覚悟せよ。勇気ある者は自分の首が無くなっている情景をつねに忘れるな。そうでなければ、男子の自由は得られん。

食欲と性欲と睡眠欲が三大本能として、四番目は教育する本能、そして教育を受けたくなる本能かもしれません。

動きの中で美人を見いだしているんでね。身動きなんだろうな。

通常、人間は議論に負けても自分の所論や生き方は変えぬ生きものだし、負けたあと持つのは負けた恨みだけである。

雨が降ってきたからって走ることはない。走ったって、先も雨だ。

どうなる、というのは漢の思案ではない。婦女子の言うことだ。漢とは、どうする、ということ以外に思案はないぞ。

われわれは人間の集団を生物の次元で考えねばならない時代にきている。

女性というものは、人生そのものだという感じであります。結局、我々男性は果たして、人生を生きているのかどうか、よくわからない

疲れちょると思案がどうしても滅入る。よう寝足ると猛然と自信がわく。

業なかばで倒れてもよい。そのときは、目標の方角にむかい、その姿勢で倒れよ。

人間の泣くこと笑うことは、いまもむかしも変わらない。

智は時に深く秘せられなければならない。

人の生涯は、ときに小説に似ている。主題がある。

皆が持つ微弱なる電流を強くせよ。

一ヶ月に十三、十四回は死を考えています。

イデオロギーというものは宗教と同様それ自体が虚構であることを思わねばならない。虚構はその虚構に人が酩酊するときしか実在しない。

人間にとって、その人生は作品である。

英雄とは、自分だけの道を歩く奴のことだ。

宗教は人間を飼い慣らす装置である。

教育なんて人からされるものじゃないんだ。

意味さえわかれば、よいではないか。

先人の真似ごとはくだらぬ

欲は才を走らせる火のようなものだ。

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