長渕剛

長渕剛の名言集 

人生に勝ち負けなんてあるもんか。人間、精一杯生きても、怠けて生きても、最後はみんな死ぬんだから。だったら精一杯行きましょうよ。たったそれだけのことですよ。

男は、意地のためには、プライドは捨てる。恥をかいても目的に向かっていくことを諦めちゃだめだ。

デブは必要ない。これ、アーティストでなくても、あらゆるビジネスにも共通することなのだ。自己管理ができないヤツはだめだ。

1つのヒットがあったときに、それを10年歌わない覚悟が自分にあるかどうか。それを上回る拍手をもらうために何が必要かを考えますね。

どちらかというと俺は親父にもお袋にも優しくしてこなかったかなって思ってたんで、せめて親父には何かしてあげたかったんですよ。

仲間とか、一緒に上り詰める人とは本気が大事じゃない。本気の先には、狂気があるんですね。そこを今度は超えると殺気がある。本気、狂気、殺気を超えて、最後には覚悟がある

人生はね、君達が思っているほど、長くないかもしれない。だから、今を思いっきり生きていこいうね。

いつの時代にも若い連中は、どちらかというと楽しみより悲しみ、悲痛な叫びみたいなものに飢えている、「本当のことを聞かせてくれ」と思っていると、俺は信じて疑わないんです。

金庫にさ、出刃と契約書だけ入ってんのよ。わかるかな、この感覚。

「本番で一生懸命歌えばいい」とか「本番でアクティブなパフォーマンスをすればいい」という考え方は、僕は嫌いなんだ。

どうせ一回きりの人生なら、潔くかっさらわれてみるのもいいさ。馬鹿だと世間にののしられても、情けない程女々しくなくよりよっぽどましだ!

高層ビルの最上階から見下ろしてる奴ら、忠誠心も男気もねえ兵隊に守られている奴らを、にらみつけながらアナ掘ってやる。

力抜くのがダメで、余力を残して生きるのが嫌。ヘトヘトに疲れて生きたい

「すごい」って言われるのはやっぱりすごいんですよ。「すごい」の三文字ね、それを色んな人に言わせたい。そこに集まる連中たちへ向けられる最高の3文字を僕はつくりたいんです。シンプルだよね。

こうして思うとね、30代後半に悔しい思いを体験したことはすごくよかった。順風満帆だったら、自分を変えようなんて考えなかった。有頂天だったころは、現場で力ずくで自分の筋を通したこともあった。おい!こら!とね。それは、オレの心が弱かったんだ。不安だったんだ。そういう態度が誤解も生んだ。頭も打たれた。悔しかった。でも、悔しさは力だ。神様が与えてくれた試練だ。悔しかったからこそ、自分から変わろうと思ったんだから。

トレーニングでは、強さだけではなく、優しさも育つ。ホンモノのアスリートを目指すには、自分の力だけではレベルアップはできない。

オレの周りには、グウタラとかヘタレといわれるヤツはいない。人の前でパフォーマンスをやる人間にとってデブは敗北

人生は一度きりだから、生まれかわるなら、生きてるうちに。

オレの作品は、いつも自分へ向けての音楽。何よりもまず自分を奮い立たせるために作り、歌う。「TRYAGAIN」もそう。しのぎを削りながら頑張ってきて、のし上がって、でもくじけて。後悔して、また自らを奮い立たせる。それをありのまま歌う。自分が倒れた時に立ち上がるための音楽を、オレはやる。

苦しい事など人に語るな。ドブに捨てちまったら一生だんまりきめろ。

今の世の中、男がヘタレばっかじゃん!!野生がねぇんだよ。要するに狩りをしなきゃイカンのよ。男の中にひそんでいる野生を喪失しちゃったら、もう精神的な死と同じ。俺は常に生きていたいのよ。死臭を漂わせたくないんだ。

裏切ったヤツと街でばったり出会った時に、よっ、久しぶり!貴様!元気か?と笑える、本当の意味で強い人間になりたいと思った。

自宅にいる日の食事は蒸し魚、生野菜のしぼり汁、ボウル1杯のサラダ。カロリーは少ないが量は多い。腹いっぱいになる。

自分で決めた分の筋トレをしなかった場合は、翌日倍以上やる。

歯を食いしばった。恥をかこうが、胸板薄っぺらいねー、と笑われようが、何年後かに理想の身体で理想のステージをやるという意地だけで続けた。

人間の「生き死に」さえも銭に換えるこの国だから、ありったけの命をたたいて今、叫ぶのだ。

幸い、ここまで人よりも多くの歓びや悲しみを経験してきていますから、そのぶん感情の振り幅も大きく、人生を楽しむための引き出しも多いんじゃないかと思う。

やりたい事とやりたくねぇ事とがおもいどうりにいかなくて「夢はなんですか?」と聞かれることがこの世で一番怖く思えた。

愛がこんなにも親切で苦しいものだとは、口に出せない事がある。口に出しちゃいけない事がある。

ひとつになってともに生きよう!みんな!一人じゃないよ!俺たちがいる!

銭はヨォ!銭はヨォ!そりゃ欲しいけどヨォ!何ボ積んでも何ボ積んでも譲れねぇものがある。

生きて生きて生きまくれ!お前の命は生きるために流れている。

俺は元来、貧乏性っていうのかな。手ぬけないタイプだろ?もう一生懸命やっちゃうのよね。回り見てみな、手抜きばっかりだろ。

強さと優しさを教えてくれた、宮畑会長という生涯頭が上がらない大きな男と出会えたことは、オレの人生にとってとてつもなく大きな財産だ。

時代や誰かのために歌を作るという意識は、オレにはない。そういうのは、テーブルの上から人を見下ろすような音楽に感じられて嫌いだ。だから、まずは自分、自分が立ち上がれない音楽を、なぜ人に放つことができるんだ!という気持ちから歌はスタートすべきだ。

わざわざ難儀な思いをして、髪をかきむしりながら、言葉を書いて、それに曲を付けて、そうまでする理由っていったいなんだ?それは、どうしても伝えたいことがあるからだろう。

吉本の芸人さん気質は、下積みの悔しさみたいなものが根底にあるから、みんな必死だよな!その必死さが伝わってくるから、「おもしれえ、勝負だ!!」ってなる。「てめえ、殺すぞ!」って気持ちで俺も食らいつかなきゃ、番組がつまらないだろ。

自分の心の中から歌いたいこと、いま言いたくてたまらないこと、そういったことが作品にならなくてはダメだ。

オレの場合、肉体改造と音楽は直結している。その時その時の人生をなすりつけたのが、オレの音楽だ。

歌の世界には歌詞とメロディの2つがあるんだけど、俺自身は「詩」に根ざして、そのときの自分を射止めようとして作ってきた。

派手な照明もなければ、凝った演出もない。何もないステージだ。そこにギターケースをぶら下げて出て来るんだからさ。つまり、これでいいんだよって言いたいんだ、特に若い世代のやつらにさ

俺はいつだって俺の中にある本質を伝えたいんだ。だから根本は変わらない。どうしたって。

俺はやりたかったんだ。だからやった。それでいいんじゃないかな。失敗したら、また前を向けばいいだけだ。

べつにへたくそでも、つたなくてもいいんだよ。大切なのは、俺の気持ちをお前に伝えたい!この純粋な想いのみだ。

長渕剛って男は、特定のカテゴリーの中には決して収まらない男だから。テレビの世界にいったらテレビ画面からはみ出し、映画の世界にいけばスクリーンからはみ出てくる男だから。

ミスを犯すのが人間。だけど、そのミスを犯した時にどう補うかが、その人間の真価が問われている。

つまんねぇ唄が流行ってるってことは俺たちのレベルが低いっつーことだしよ。だからお互いがんばってあげようよ!いや。本当だぞ!俺は本当にでやってんだから!ま、これ以上言うと、アイツもおっさんになったなって言われるから。

今、何をしていようと、それに夢中になればチャンスはいくらでもある。

ぼちぼちしてらんねぇ。生きることに全力投球だ。

女にはどうあがいても勝てないし、勝負の対象となるものでもない。女は偉大だ。男はつくづく闘争本能をぶら下げた毛虫のようだな。笑いたくなる。

まず、自分をとりまく環境を変える。居場所を変える。簡単なことだ。心の痛みをしょい込むより、肉体の痛みを毎日実感しながら、昨日よりも強い精神を宿らせろ。

りんりんとなきながら初めて飛んだけどもっと俺は俺でありますようにいったい俺たちはノッペリとした都会の空にいくつものしゃぼん玉を打ち上げるのだろう。

親元を離れ戸惑いながら月日は流れて行った。薄汚れた都会のベランダから見えない海を眺めてた。俺は初めて親父やお袋をたまらなく愛した。

そうです。割り切れないのが、恋というもの。

今の日本人タコばっかりですわ。

日誌を書くと、その日の自分のほんの小さな弱さを見逃さずに済む。反省もする。取り戻そうとする。自分のケツは自分で拭いてケジメつけて生きていくという当たり前の覚悟が宿る。

いらっしゃ〜い。今日はギター、一本でやりますから

自己流では、オレ自身が理想とする音楽活動、ステージパフォーマンスはできない!体力的にも、見栄えも。かっこいい衣装を探す前に、優秀なスタイリストに頼む前に、己の身体を作るのが先だ!そう確信した

僕の人生というものは、周りの大人たちとの関係で作られてきたものです。そのなかで、時代の風というものがあり、ある時は僕がヒーローとして扱われたり、逆にある時は悪いヤツとして扱われたり。芸能界の暗黙ルールというものの中で、思いっきり悪の底に突き落とされたこともありました。そういうことをたびたび経験してきて、それでも腐らず今こうして凛としていられるのは、僕に大切な仲間がいたからです

人間は命がけの表現、本気でかかってくる者に対しては、逃げるか、行くかしかないんですよ。

田舎者でバカだったからね。リンカーンのリムジンで全国周ったこともあるんですよ。ロックスターを気取ってね、まだそんなところまで来てないことは解ってるのに、その形を作ったり。今思えば穴があったら入りたい、恥ずかしいこともいっぱいしてきたんだ。

バンドというのはバンドじゃなきゃいけないんです。同じベクトルを向いていなければならない。一喜一憂を紡ぐために仲間が集まるわけです。

人が思ってるほど長渕剛っていうのは強くないところもたくさんある。

俺はずっと一人で叫び続けてきたわけ。でもさすがに一人だと声も涸れて出なくなるぜ。一緒に走る仲間が心から欲しいんだ。弱虫でセンチメンタルな部分っていうのは俺の中にたくさんある。

自分の本当にやりたいことってなんだい?誰かに何かを言われてるからやってるんじゃないか?みんながやってるから、雰囲気で右にならえしてるんじゃないか

父と母が亡くなったときのあの放り出されたかのような気持ちは半端じゃなかった。人生の先輩がたからは「甘えるな」と怒られるかも知れないけど、独りぼっちじゃん。

今、残っていただいている、好きになっていただいている仲間というのは、「そうだ」と思ってくれている連中だと思ってます。だからこそ、「そうじゃないんじゃないか」と問いかける自分と「そうだろ」と同調する自分を常に持っていなければいけません。「これなのだ」と言い放った瞬間には「そうじゃない」という歌を作っていかなければならない責任があります。そのレスポンスを表現として、生涯貫いて生きていきたいんです。

ガキの頃の純粋さや一途さ、そういったものを持ち続けることの大切さを再確認したんだ。

時代の流れに乗っかって消えていく歌の組に入るのか、それとも自分の名前はいずれ風化されようとも、歌だけは残りたい組に入るのか、その勝負をしなきゃ!!生まれてきた意味がないだろ。

長渕剛って男は、またきっと何かやるんだろうなって気はしてる。

基本的に僕らの歌は大衆の中に流れていってるものですから、自分も大衆の中の一人としてどうなんだということを客観視しないと、ついつい自分は凄いことやってると思いがちなんですね。

君が愛にしがみつくより、まずは君が強くなれ。

死んでからだね、父母が。恥ずかしい話だけど。俺、これでようやく自立なのかって思って。それまでずっと心のどこかに、父ちゃんに抱っこされたいっていう思いがあったんだと思う。

ジムには、ホンモノがうようよいる。ホンモノのなかに歌手一匹。周囲が100kg以上のバーベルを当たり前のように持ち挙げるなかで、ギターより重いものを持ったことがなかったオレは、5kgのダンベルからスタートだ。恥ずかしかった。その後も10kgや15kgを必死に持ち挙げたが、誰も口をきいてくれない。クソッ!今に見てろよ。

聴く人がいなきゃ、俺なんかクソなのよ!

死ぬほど今を生きるんだ。

自分もかつては歌番組やドラマに出させてもらって、テレビの裏側をたくさん見てきたけど、いまのテレビは「枠」に収めることばかり考えて番組を作っている。「映っちゃいけないものを見切れさせるな!」「台本に書いていないことは話すな!」「スポンサーの意向にそぐわない発言はするな!」って、制約の枠だらけ

今の若い子たちは、悩みがなさそうに見えるけど、みんな悩んでいる。悩みを公衆の面前でさらけ出すので、ある部分は守ってあげなきゃいけないし、違うと思うところは僕の意見をハッキリという。僕が若いころは「こういうことを言ってくれる人がいて良かった」という大人がいましたが、今の若い人たちに本当のことを言ってくれる大人がいない。だから、自分が10代の子たちにとって、そういう大人になってあげたいんです。

僕のライブパフォーマンスは「生きる」そのものであって。「死にたいほど生きる」、「おまえら、死にたいほど生きてるか」ってことなんですね。そんな厳しいこと言わないでよ、という人もいっぱいいると思うけど、でも「ゴメンネ、おれ学芸会やってるんじゃないんだよ」と言いたい。

巨大なエネルギーっていうのは一夜にできたものではありませんね。僕とファンがずっと長い歴史をつむいでつくってきたものなんですね。それは、高みを目指して挑戦し続ける、一途の道を追求しつづけるという、あくなき表現者として完璧を目指すという強烈な欲求でもある。

ファンが何を求めて僕のコンサートにやってくるかと言えば、自己を肯定して生きていきたいんです。「おれたち、結局頑張ってもさ…」と、どこか自己を否定して生きている社会がある。だけど、「長渕のコンサートに行くとそんなもの払拭してくれるんだ」という、そんな彼らの声がステージ上の僕に突き刺さってくるんです。「わかった、だったらおれらも飛びかかっていくからな!!」と、そこに全力で応えていく。

20代の時はさ、こんなクソ田舎、冗談じゃねえよっていって出てきたんだけど、母親が亡くなり、父親も居なくなりそうな状況に直面した時に、故郷というものがたまらなく愛しくなって、いつしか感謝の気持ちに変わり、しまいには恩返しをしたいって気持ちが湧いてきたんだ。

無理だと言われた瞬間に、やろうと思った。

お金にまつわることや、まぁよくいる利権として群がる輩たち。具体的には話さないが、騙された。あの時期、裏切られたこと、たくさんあったな!はらわたが煮えくりかえるほど人を恨んだこともあった。信頼する人間に欺かれると、自分のすべてをはぎ取られたように自暴自棄になる。でも、しばらく経つと、思うんだ。裏切る人間を近くに置いたのは誰よ?とね

今のテレビは、個人を尊重しているようで、完全に無視している。スポンサーやテレビ局の思想があって、それにそぐわないシリアスな話をすると「笑いでごまかしなさい」「お茶を濁しなさい」という暗黙の命令に従って、司会者が瞬間的に頭を使って上手くごまかしていく。それは、スポンサーがテレビという「御本尊」をコントロールする存在だからです。

僕は「ファン」という言い方が嫌いで、「仲間」と呼んでいるんですが、仲間に支えられて作ってきた自分のエネルギーをすべて使い果たして死ぬことが、今までたくさんの仲間を引き連れてきた僕にとっての礼儀だと思っています。60歳も目前にして、体力的にも厳しいけど、朽ち果てないように努力をしなきゃいけないと思います。だから、仲間には「絶対に観に来いよ」と言いたいです。

もちろん死に様というのも考えます。みんな笑うかもしれないけど、僕の死の理想は、死ぬ寸前で骨と皮だけになった状態で、ギターを持って2曲歌いたい。ひとつは、死ぬまで自分が愛してやまなかった女性に対する曲。もうひとつは、僕を傷つけてきた憎い奴らに対する曲。この2曲を「究極のラブソング」として、僕が大好きで敬愛している日本という国の、1年の最大の祭典である「紅白歌合戦」で、病院からの中継で歌って、全てのエネルギーをそこで使い果たして、そのまま死んでしまいたい。

40年近く前に歌の世界に入って、これまでに400曲くらい書いてきました。歌の世界で生きてきた自分が、歌の世界で死んでいくんだな、ということをそろそろ意識する年齢になってきました。そう考えた時、歌う、ギターを弾く、テレビで語る、ラジオで語る、絵を描く、そういった今まで自分が体験してきたことを表現する全ての引き出しを、全部出そうと思ったんです。オールナイト・ライヴもその一つで、体力的には、もう最後ですから、それも含めて全部やろうと思っています。

僕がライブハウスで歌い始めたとき、お掃除のおばちゃんしかいなかった。「おばちゃん、聴いてよ」というところから出発したわけです。そこから10人、50人、100人、1000人と増えていき、日比谷野音6千、日本武道館1万、東京ドーム6万5千、桜島7万5千、そして今度は富士山麓10万という目標値を設定しました。

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