伊集院静

伊集院 静の名言集

要するに3通りしかないんだよね。ひとつはね、強いやつについていく。もうひとつは逃げる。三つ目は独りで闘う。

人間はずっとやってきたことをやめると、簡単につぶれてしまう。

いつも何かを模索し、何かを求め、手をさしのべておかないと運は降りてこない。

頭で考えたら駄目だ。頭で考えるものは、たかが知れている。

新しい人よ。今は力不足でもいい。しかし今日から自分を鍛えることをせよ。それが新しい力となり、二十一世紀の奇跡を作るだろう。ハガネのような強い精神と、咲く花のようにやさしいこころをもて。ひとつひとつのハガネと、一本一本の花は、美しくて強い日本を作るだろう。

人はそれぞれ事情をかかえ、平然と生きている。

インターネットを閉じなさい。テレビを消しなさい。パスポートを取得して、一番安い乗り物ですぐ日本を発ちなさい。目的地は?どこだっていい。この国以外の、風の中に立ちなさい。そこには君がインターネットやテレビで見たものとまったく違う世界がある。

人の陰口を叩いてきた輩は必ずその代償をいつか負うことになる。放っとけ、とわしが言うのは、放っておいても陰口は消えるってことだ。つまり陰口の顔、そいつが消滅するってことだ。

日本の調理人の味が落ちた。週休二日で修業中の職人までが休みはじめた。体得するのに何年もかかるものが、七日の間に二日も途切れては何も覚えられない。

自分に言葉が足りないから、本の中に新しい言葉を求めるんだ。新しい言葉を見つけることは、新しい世界を見つけることだ。

いい客とは、派手な金の使い方をする奴より、コマメに通ってくれる客だ。一晩で使ってくれた百万円より、三週間かけて使った二十五万円の方が価値がある。

日本は大国なんかじゃない。ちいさな国の、君はちいさな存在だ。しかし君の未来は、時間は、可能性は限りなく大きい。家族や友を想う気持ちは素晴らしいことだ。世界を見よう。真実を知ろう。君と同じように他人のことを自分のことと考えられる大勢の若者がいる。

ドル建てで預金して金が増えたこともたぶんあるんだろう。じゃ聞くが、君はドルが高くなるために何かしたのかね?ただ見てただけだろう。それで君の金が増えるって、そんなうまい話が世の中にあるわけないだろう。

「長いことどす」その挨拶を耳にすると、京都はやはり別格の街だと思う。つい数日前に顔を見合わせ飲んでいたのに、先斗町の小料理屋の女将はそう言って客を迎える。そのやわらかさが怖いという友もいるが、修業が足りないナ、君。もてなしはもてなされる人あってのものだよ。 1伊集院静の名言

生きていなければ見えないものがあるのが世の中だ。絶望の中で死を選んだ人や友を何人か知っているが、歳月が過ぎれば過ぎるほど、生きていれば、今頃、あいつと酒も飲めたし、笑って話すこともできたろうに、と思うことがしばしばある。

なぜ軟弱なのか?それは連るむからである。一人で歩かないからである。孤となり得ないからである。連るむとは何か?時間があれば携帯電話の着信を見ることである。マスコミがこうだと言えば、そうなのかと信じることである。全体が流れ出す方に身をまかせることである。

スコットランドにどうしてあれほどの数の酒造工場が点在しているのかをご存じか。食生活が豊かで裕福だったから?とんでもない。貧しかったからである。本当に酒が必要な連中は正気ではやっていられない男たちだ。今も世の中に酒がなければ毎日何人の男が自死しているだろうか。

今、日本の大人の男はあまりに軟弱である。ちょい不良オヤジ?馬鹿もやすみやすみ言え。そんな呼ばれ方をされるために人生なかばまで歳を重ねた男がいるわけがない

若者は欲望のかたまりでいい。純粋は欲望と隣り合わせている。欲望への葛藤など捨てればいい。欲望に忠実であることが純粋の証しだ。たっぷりと欲望につき合うことだ。じたばたすることだ。

歌が欲しいという人がいれば、君が率先して歌えばいい。下手でもかまわない。懸命に歌うことが肝心なのだ。

電車に乗るたびに、一人車窓を眺めている人を見かけると、できることならこころ踊る電車行であって欲しいと思う。私が車輌の中で静かにするのをこころがけるのは、そこに哀しみの帰省をする人がいるはずだと思うからだ。

人から受けた恩は、その人には返せないのが世の中の常らしい。親孝行ひとつを取ってみてもそれはわかる。親の最後の、最大の教えは、親が亡くなることで子供が人生を学ぶことでもあるという。

どんな商店だって、工場だって、会社だって、歴史から見れば、昨日誕生したようなものだ。それも君のように若い人たちが作ったのだ。抵抗しろ。改革しろ。妥協するな。役立たずと陰口を言われても気にするな。すぐに役立つ人間はすぐに役立たなくなる。仕事の真価は「すぐ」の周辺にはないのだ。

自分の弱みを何でもさらけだせる相手だって?そんなもの友とは呼ばんよ。君は相手が自分に手を差しのべてくれることが友情と勘違いしてるよ。友情というのはそんな薄っぺらなものじゃないよ。もっと緊張感があるものだ。

この頃、自分を恥じる。たった一言でいいから父を尊敬していたこと、感謝していることを言えなかったのか。

戦場では今日も若者が死に、テロは繰り返され、近所でおぞましい事件が続く。金が儲かるなら何をしてもいいと嘯く輩がいる。金がすべてなら君達が子供の時に読んだり、聞いたりした絵本や、詩や、音楽は世の中にはいらなくなる。これまで君の目はたしかなものを見てきたはずだ。

旅をするのなら、一度は国境の周辺をさまよえ。

二十歳の空はどこにでも飛んでいける。信じるものにむかって飛び出そう。空は快晴だけじゃない。こころまで濡らす雨の日も、うつむき歩く風の日も、雪の日だってある。実はそのつらく苦しい日々が君を強くするんだ。苦境から逃げるな。自分とむき合え。強い精神を培え。そこに人間の真価はある。

おかしいと思わないか。哀しみと歩くために私たちは生まれてきたのではないはずだ。どうして人をいじめたり、平気で苦しめたりする者がいるのか。それはボクたちの身体の中に何ものにもかえられない素晴らしいものがあるのを忘れているからだ。

逆境は、自分だけにあるものではないと思うことが大事。苦しいことが人生では当たり前。その時は、何で俺だけこんなふうになるんだろうなと思ったんだけど、3年、5年とたっていくうちに分かってくるんです。周りにも同じような境遇の人がいるのに気が付くんです。

朝起きた時いつも「今日だ」と思うんです。昨日どれだけ飲んで二日酔いでも、「今日だ。今日のはずだ。今日は今まで書けなかったものが書ける日だと信じよう」と。今日は必ず自分にとって大事な1日になるぞということを、あえて思うようにしているんです

苦しいこと、せつないこと、つらいことを経験していなかったら、申し訳ないけど一人前になりませんよ。

一文字一文字を埋める。書き上げる責任を果たす。これには地道さと無縁ではいられない

「仕事が自分に合っていない」。よく耳にする不満だ。結論を言えば、自分に合う仕事なんてあるわけがない。私だってモノを書くのが大嫌いなのに、踏ん張ってやり続けている。

ある程度、もののできている人は、口には出さないけどみんな苦しい環境を越えてきている。それどころか、自ら苦しいことを選んでいたりする。

仕事は自分のためにするものではない。すべて誰かのためや、社会を豊かにするために行うものだ。だからこそ、歯を食いしばって打ち込む価値がある。

ギャンブルには「押していかなければ、夢を食っているだけ」という言葉があります。他人の負けをあれこれ解説するより、自分の考えで賭け、それで負けて悔しいと思う人の方が次の可能性があるのです。

xその仕事は卑しくないか。その仕事は利己のみにならないか。その仕事はより多くの人をゆたかにできるか。その仕事はともに生きるためにあるか。

どうしてこう旗日が多いのか。日本人はこんなに休んでいちゃ、国が滅ぶんじゃないか。

小説は人生の謎を解くものではない。読み手の個々の人生と向き合うものだ。

世の中というものは、自分の痛みでなければいとも簡単に物事を片付ける。それが当然であり、世間というものだ。「ガンバレ」では済まない、希望の見えない人たちがいる。子供を、孫を失くした親が、祖父母がいる。そのことを私たちは肝に銘じておかねばならない。

一人で生きよ。耐えて励め。

人間が「老いる」のは、死ぬ寸前のことだよ。それまでは生きてる。生きてるってことは活きてると同じこと。精神が活き活きしていればそれで充分だと思うぜ。そりゃ物も忘れるし、坂道を歩けば時間もかかる。そのことと「老い」は違うんだ。

自分以外の人、生きているものの痛みをわかる子供にすれば、教育の半分はできたと考えなさい。

今、日本人は休んでる場合じゃないんだよ。震災によって日本全体で二割、三割の労働力が低下した。だから、被災しなかった人は二倍も三倍も働いて補わないと。

漁師が船の様子を見に出かけたり、農夫が稲田の具合を見に出かけて亡くなる。仕事とは、大人の男が朝目覚めて、最初に考えるものである。家族のことは二の次が当たり前で、仕事がきちんとできた上で、家族を養え、育てられる

いい小説は、読んだ後も一つか二つ、よくわからない所があるんだ。そんな本の読書は、霧の立ちこめる森の中を抜けるようなもので、気が付かないうちに読み手の体がなにかで濡れている。

幼年期から思春期までに目や耳から身体に入ったものを人間は生涯忘れない。

どこの店でもナンバー1になる女性は、決っして飛びっ切りの容姿をしていない。むしろ一、二枚落ちるところがある。何が、その子にあるか?それは愛嬌だ。一緒にいて安堵がある。愛嬌は女性の資質の中で、二、三枚格が上のものだ。

働く上で、生きる上で大切なものは何か。姿勢である。どんな?それは揺るぎない「誇りと品格を持つ」ことだ。

いつか君が成長し、逞しい幹と、しなやかな枝と、まぶしい葉をたわませた見事な形の樹になってくれると期待している。大切なのは土の中に、胸の中にある根だ、精神だ。誇りと品格だ。自分を、人を、社会を豊かにしたいと願う精神だ。

新しい人が好きなんだ。新しい人は何だってできるぞ。

「やらせて下さいませんか」って言いますよ。

大人の男が二十歳を過ぎて、人間と神の契約がいかなるものかを理解できていないのなら、それは失格者である。

ギャンブルには、これをする人と、しない人の二種類の人間がいるだけである。

まず半年、二時間早起きして何かをはじめてみる。テレビを情報の中心から外してみる。電話で物事を片付けないようにしてみる。家族とドライブに出かけていたのを、自分たちの足だけでどこまで行けるか歩いてみる。

書物はこれを読み、そののちに何があるかが肝心である。書物を生涯一冊も読まず、かなりの生き方をした男、きちんと生きている男は山ほどいる。そういう男の方が生半可に書物を読んだ男より信用がおける。

再出発と言う人が多いけれど、物事を変革するには、まず一人一人が身近なところで具体的に何かをはじめなければいけない。一人一人が新しい自分をつくっていくんだ。「新しい人」になるんだ。

「女性と別れたい」と相談されると、一緒に寝ている時に大便をしなさいと助言します。

仕事も女性も、迷ったときは苦手な方で手を打つといい結果になる。

会社をやめて家族と過ごすことを優先するかどうかって?君ね、すぐ会社やめなさい。その方が会社のためだ。君のような人間が海外赴任したら、せっかくこれまで現地で苦労して事業の足がかりを作った人たちの努力が泡となる。

見知らぬ者同士が逢った瞬間に相手に好意を持つ。好きと思う。なぜかそれからその人のことが気になる。その人のことを想っただけで身体が熱くなる。風邪かな?と思うが鼻水が出ない。それが恋愛のはじまりだ。

親は無条件で己のことよりも子供の幸せを考える。そのことが子供の頃、私にはわからなかった。若い夫婦が子供を連れ、プラットホームに降り立つ。彼等に歩み寄る老夫婦の笑顔には、人間の至福の表情がある。

知識なんかよりもはるかにたしかなものは、人間が生きようとする、生き甲斐を感じる場所と時間なのだ。それが故郷というものであり、母国というものだ。 1伊集院静の名言

道に迷ったら元の場所に帰るのだ。初心にかえろう。皆がしてきたことをやるのだ。汗をかこう。懸命に働くのだ。これを君たち若者がダサイと思うなら、君たちは間違っている。真の仕事というものは懸命に働くことで、自分以外の誰かがゆたかになることだ。汗した手は幸福を運んでいるのだ

まぶしい自分になることも、美しい日本語が話せるようになるまでも、良き友を得ることも、信念を発見することも、一年、二年じゃできやしない。いいものは時間がかかる。見てくれで人を判断するな。金で価値判断をするな。すぐに手に入るものは砂のようにこぼれる。本物を手にするのは苦しいぞ。

己以外の、誰かの、何かのために懸命に、生き抜くことだ。そうすれば君に見えてくる。世の中が、人間の生が、いかに哀しみであふれていることか……。それらの哀しみを平然と受けとめ、どんな時にも、君は、そこに、スクッとたっている人であって欲しい。

すぐに酔う酒は覚えるな。

そんなものはもう古い?古くて結構。ここ十年、新しいものでまともなものがひとつでもあったのか。新しいものはすべてクズだったではないか。

大人って何だ?大人とは、一人できちんと歩き、自分と、自分以外の人にちゃんと目をむけ、いつでも他人に手を差しのべられる力と愛情を持つ人だ。

成人を祝うなんて古い習慣と思うかもしれないが、そうじゃない。世の中には二十歳を迎えられなかった若者が大勢いる。ほとんどの人は無事に生涯を送ることができない。それが私たちの生だ

その人たちの二十歳の手の中にあったのは、ささやかなものだった。家族や友だちの励まし、いとしい人の笑顔、好きな音楽、一行の詩……、そして自由。でもそれはかぎりない可能性を抱いていたし、やさしくて、美しいものだった。やさしい人よ、美しい二十歳よ。君にシャンパンを、ささやかな乾杯を。

価値ある生き方をしている大人はいるのか。誇るべき生き方はあるのか。私は断言する。そういう生き方をしている大人はいるし、生き方はある。今の君たちの目に見えないだけだ。その人たちも、君と同じ年頃、見えない明日を懸命に探り、一人で歩いていたんだ。

人生は運で決められている。その運とは物事の見方です。無事故を続けてきた知り合いのハイヤー運転手が、1週間のうち3回も追突されることがありました。一緒に厄除けに出かけるという話を、ある有名芸能事務所の社長にしたら、「それだけうまく当たっている今こそ、何でもすべきだよ」と返されました。「スターを輩出し続ける事務所のトップは、やはり違う」と感心させられました。

苦しいこと、切ないこと、苦節を一つでいいから自ら取りなさい。人が遊んでるときに、なんで向かい風の中を歩かなきゃいけないんだと思うかもしれないが、まことに申し訳ないけれど、大昔からそれが若者を成長させる唯一の力なんだ。

週刊誌の連載をしていると、例えば今なら籠池さんについて書いてくれとか言われるけど、そういうものは1年後に読んでもあまりピンとこない。事態は推移しているから。むしろ昔から連綿として変わらないもの、天地災害とか、生きることにまつわる悲しみとか、そういうものを書くべきなんだよね。

大人の男は、生き方の根みたいなところを外さないことが大事。「男はつらいよ」というのは素晴らしい言葉で、大したものですよ。

家族はやっぱり一緒に暮らすべき。家族が一緒になっていると、だいたい何とかなる。

哀しみのかたち、表情は、どれひとつとして同じものがない。幸せの風景は似通っているけど、哀しみの情景は全部違う。

私はギャンブル人生の中で、数多くの勝負師たちと出逢いました。彼らは皆、自分のフォームとパターンを持っている。賭け事では先駆者たる者が勝つのです。

どんな仕事も、コツコツやっていけば、実るはずなんだ。

景気が悪くなって、テレビの報道などでも「安ければ得だ」という風潮がある。果してそうだろうか。「安物買いの銭失い」という言葉は私は正しいと思っている。物の価格というものは長い時間をかけて定まったものである。そしてその値段を私たちが納得して買うのもやはり長い時間がかかっている。

賭け事では、賭け金で儲けようとする額を低くするほど勝ち続ける確率が高くなります。賭け金を5倍にしようとする人よりは2倍を狙う人の方が勝つ。1.2倍ならさらに勝つ。勝負師たちは一発を当てにいくのではなく、勝てる確率が高いところで勝負する。だから強い。

私が35歳でこれから何をして生きていくか決めなければならなかったとき、おふくろが「不得意なほうを選びなさい。そうしたらお前は少しは努力するから」と言った。それで小説家の道を選んだ。おふくろには感謝してる。

今、我々は何ができるかというと、新しい世代、それと今、一番働いている人たちにここは守れよと言い続けること。

許せないことがあるのは空気や水と同じように自然なもの。そう理解することが大切です。最もしてはいけないのは、許せない自分を「器の小さい人間」といつまでも悩むこと。許せないことに出合い、それを乗り越えていくことの積み重ねで人は成長していくのです。

何かを成し遂げたければ、自分は途上だと考える。ひたすら目的地を目指す。そこに至って得られる実りにこそ、人生の価値があると思う。

人を助ける人間になれてないとダメ。仕事で成功した人にはそれがある。自分だけ良ければそれでいいという発想で仕事をしたやつは、必ず潰れている。

苦境がなかった企業はほとんど伸びていない。逆境、苦境だけが企業を伸ばしているといってもいい。

たとえ今、逆境にあっても、それはチャンスだと思った方がいい。

人生を果てしない道を進む車として考えた場合、仕事に対してはフルスピードで突き進んでみてほしい。フルスピードで打ち込んでいけば、他の人とは違う風景が見えてくる。

生きるということは出逢うことだけど、同時に、出逢えばいつか別れる。別れというのは、生きることと併走している

酒は品良く飲みなさい。人も、酒も品格だ。

前の女房の死の直前、好きな食事をさせたいと銀座に買い物に出かけました。でも最後に飲ませてやりたいと思ったワインは、お金がなくて買えませんでした。

天下の女優に中程度のワインを飲ませてやることができなかったのです

「もう少し高いワインを飲ませてやりたかった」

彼女が死んだ後、悔やみながら、ある決心をしました。

「自分が死ぬまでの間に、二度とお金に揺さぶられない人生を歩む」と。

その時に自分にお金があろうとなかろうと、どんなに現金を積まれても「それがどうした」と微動だにしない。そうした姿でいられる人間になると。

同時に一切の物欲を捨てましたこれ以上はない命を救えなかった自分には、命以外の物を求めようもないと思ったのです。こう覚悟してからは、不思議なもので自然とお金が入ってくるようになりました。

でもお金が入っても全て吐き出すから、税理士からは経費の使い過ぎと注意されます。

私は震災を経験していることもありますが、家庭がある人には特に言いたいことがあります。1度は必ず、最寄りの避難所を家族で見に行けということ。例えば、2000人を収容することを想定していた避難所があります。ひとたび災害などが起きたら、5000人とか8000人が集まって来ちゃうものなんです。人が集まって膨張状態となり、まさに阿鼻叫喚の世界になるわけです。そんな時に家族を捜そうとしても、とても難しい。名前を呼んでも全然聞こえない。だから、週末にでも家族と一緒に避難所を見に行って、「何かあった時はこの木の下に来るんだぞ」と必ず子供と奥さんとおじいちゃん、おばあちゃんに言っておくこと。そこでまず会って手を握れば、その後は何とかしようということになる。捜し続けるという作業は、途方もなく疲れるものなんです。奥さんや子供はパニックになりやすいから、これは絶対やっておかなきゃだめ。

許せないことを乗り越えるには、まずは許さなくていいと考える。すると気が楽になる。そして許すとも考えない。「許すとは高き姿勢や夾竹桃」。エッセイで紹介した俳句にもあるように、許す行為にはある種の傲慢さが伴います。「許してもいいかな」と緩く考えると、30年間許せなかったようなことも、許せるようになってくる。

50代後半に「60歳になったら仕事を倍に増やす」と決めた。2倍の仕事を受けるために、あえて「3倍やるぞ」と公言したら、本当に3倍になってしまった。それ以来、早起きを心がけ、目が覚めたら原稿を書く生活に切り替えた。3倍の仕事量に慣れるまで、1年半はかかった。すると、不思議なことに、いままでより本が売れるようになった。時速200キロで走れば、車窓の風景は見にくいが、その先にある、すべてをかけて打ち込んだ人間にしかたどり着けない場所に行ける。

昔、酒場で知らない人に、「あなた、若いかみさん亡くしたらしいね、いや実は俺もね」などと話けられても、最初の頃は同情とか悪い意味にしか受け取れなかった。「俺の気持ちが分かるものか」と。だけど七回忌を迎える頃は、知らない人に「大変でしたね。頑張って下さいよ」と言われると、素直に「ありがとう」と言えるようになった。かつ、それまでカッコつけてできなかったのに、自分も哀しみに沈んだ人に自然に声をかけられるようになっていた。時間がクスリとはよく言ったもので、別離をしたことで何かが備わる。これが「さよならの力」。

「人の行く裏に道あり花の山」という言葉があります。大勢が目を向けていないところに大きなチャンスが転がっているという格言です。私の作品作りの姿勢も同じ。皆の向く方向に合わせて創作すれば、着実に売れると考えがちですが、そうした態度で書けば必ず失敗すると思っています。常に新しさを探し求めて綴ってきました。

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