手塚治虫

手塚 治虫の名言集

人間は、生きている間に、なぜもっと素晴らしい人生を送らないのかなぁ。素晴らしい満足しきった人生を送れば、死ぬ時にそんなに苦しまなくたっていいんだろうなぁ。

僕の体験から言えることは、好きなことで、絶対にあきないものをひとつ、続けて欲しいということです。

プロというのは、何も無いところから出さなきゃダメだ。引き出しを開けたら何もなくても、締切りは迫っている。そこで、無から有を生ずるのがプロですよ。

一生に一本でもいい。どんなに苦労したって、俺のマンガ映画を作って、この感激を子どもたちに伝えてやる。

君たち、漫画から漫画の勉強するのはやめなさい。一流の映画をみろ、一流の音楽を聞け、一流の芝居を見ろ、一流の本を読め。そして、それから自分の世界を作れ。

「ダメな子」とか、「わるい子」なんて子どもは、ひとりだっていないのです。もし、そんなレッテルのついた子どもがいるとしたら、それはもう、その子たちをそんなふうに見ることしかできない大人たちの精神が貧しいのだ。

合理化はゆとりや遊びの空間を消して、むしろ人を遠ざけることになります。

反戦だの平和だのの政治的なお題目では、子供はついてこない。率先して生命の尊厳から教えていく姿勢が大事。

終始一貫して僕が自分の漫画の中で描こうとしてきたのは、次の大きな主張です。「命を大事にしよう!」。

一攫千金は偽りの成功。真の人生の勝負は、じっくり腰を落ち着かせてかかるべきだ。

医者は生活の安定を約束していた。しかし、僕は画が描きたかったのだ。

時代は移り変わっても、子供たちの本質は変わらない

睡眠は3日間で3時間。こんなつらい仕事を40年続けるなんて、馬鹿じゃないとできないですよ。

数えきれないほど、悔しい思いをしてきたけれどその度にお袋の「我慢しなさい」って言葉を思い浮かべて、なんとか笑ってきたんです。

人間は何万年も、あした生きるためにきょうを生きてきた。

仕事に強い信念と情熱を長く持ち続けられる女性。しかも世の中すべてに、やさしい愛を注げる心の広い女性…。それをぼくは望みます。

自然への畏怖をなくし、傲慢になった人類には必ずしっぺ返しが来る。

子供は、その時点時点で常に現代人であり、また、未来人でもある。

現代の教育は、どこか衰弱しているというか、勘違いでもしているようだ。

子どもに殺しを教えることだけはごめんだ。世界中の子どもが正義だといって殺しを教えられたら、いつか世界中の人間は全滅するだろうな。

40年間負けん気でもってたみたいなもんです。逆に言うと、劣等感や怯えがあったから、続いたともいえるんですね。

仮病は、この世でいちばん重い病気だよ。

人の命なんて、心配してもしなくても、終わる時には無情に終わるものだ。

最後まで努力をするってのが、本当の生き甲斐ではないでしょうか。

好奇心というのは道草でもあるわけです。確かに時間の無駄ですが、必ず自分の糧になる。

人生は一人じゃない。二人三脚で走らねばならんこともある。

アトムは完全ではないぜ。なぜなら、悪い心を持たねぇからな。

「荒唐無稽」とか「夢の中」にこそ、日本人の忘れていたものがある。

どんな仕事にしろ、プロの道は険しい。一人前に食べていけるプロだと、自信を持って言える人間になるには、道楽や片手間にやる程度ではダメなのだ。

自然や人間性を置き忘れて、ひたすら進歩のみを目指して突っ走る科学技術が、どんなに深い亀裂や歪みを社会にもたらし、差別を生み、人間や生命あるものを無残に傷つけていくか。

今は失われてしまったそれらは、しかし、決して取り戻せないわけではないのです。

日本の明日を担う子供達に、こんなものを読ませるのですか?

名声も財産もできてあぐらをかいてしまうと、逆に面白くなくなるわけです。

人の後をついていたら安全というのは、この世界じゃ通りません。

井の中の蛙を決め込んでいるのは、敗北だと思う。

あと40年ぐらい書きますよ。アイデアだけは、バーゲンセールしてもいいくらいあるんだ。

漫画の含む笑いの要素は、いちばん高級なやつでなければならない。猿の笑いと一緒くたでは困る。

わたしの漫画は絵ではない、記号の集合体である。

人の一生とはあらしのようなものだ。あらしのつよいときは風に身をまかせろ。あらしのよわまったときに全力を出し進め!!

人間の「善」が、常に「悪」よりも先んじてほしいものです。

今ここで自分が描かなければ誰が描くんだろう

ぼくたちは、かけがえのない地球に「同乗」している、仲間です。

マンガは女房、アニメーションは手のかかる恋人。

ぼくのマンガというのは教科書なんですよ。教科書というのは、読んでワクワクするほど面白いもんじゃないし、面白すぎても困るわけ。若い連中がそれに肉付けして、素晴らしい作品を作ってくれることが望ましい。

円周率とか1、2、3、というのは、地球だけの真理であって、宇宙にはそれとは違う、まるっきり想像を絶した、知識の体系があるかもしれない。

人間は、果てしなく賢明で、底しれず愚かだ。この壊れやすい地球に対してどう対処するのかは、ここ百年くらいで選択が決まる。でもこれは、やり直しのきかない、一度限りの選択になるだろう

何より重要なのはハングリーな気持ち。常に何かに飢えている緊張感が僕の健康を支えている。もうこれで十分満足、と落ち着いた途端にスタミナが切れて、ダウンしてしまう気がする。

ひとつのものがずうっと、定着してしまっているということは、逆に不安定で、ぼくに言わせれば「死んだ芸術」ですよ

藤子Aはかなり才能のある漫画家だが、Fは桁外れの天才だ。

歴史とはあらゆる角度からあらゆる人間の側から調べなければ、ほんとのことはわからないものなのである。

漫画とは大人が眉をひそめるようなものでないといけないんです。

野球ものも考えていますが近頃の阪神の不振に聊か、くさっているので書く気がありません。

君はいいよねえ。野球漫画だけ描いてればいいんだから。

え~い!ページを真っ黒に塗りつぶしちゃえ!そこから物語は始まるんだ!

自分のメッセージが、少なくとも子供をリードしていないと駄目。

創作者にとっては…作品のメッセージが相手に通じることほど、うれしい報酬はない。

子供と対話する時は親子という関係より、社会人としての先輩、後輩という立場で、社会一般の知識を教えることを大事にしています。

子供は、親に対する建前の心がある。教師や大人に対しても子どもの建前があるんです。

子供にとってのひとり旅は、リクリエーションではありません。教育であり、しつけです。きびしい試練でなければなりません。しかもその裏には、保護者のやさしい心遣いもなければならないのです。

教師の放つ子供への言葉の力というのは、よくも悪くも深く作用する。

子供達に何百ページもの長編を、時間をかけてゆっくり読ませたい。技術教育偏重の育て方。ダイジェスト花盛りの傾向も反省すべきだろう。なによりも、安心してそういったものが読める、ゆとりのある世の中にしてもらいたいものだ。

子供をめぐる状況というのは、学校と家庭と友人、この3つに平等に培われる。子供をめぐる問題の中で、学校の責任だとか、子供の家庭の責任だとか、友達が悪いとか、それぞれ言い分を言っておりますが、これは平等に責任があると思う。

子供の純粋な興味を阻害してはいけない。その興味の変化に対して、どう指導していくかが問題なのだと思う。

幼い日の我々を育んだ、素朴で温かい手作り文化をもう一度復活させて、子供たちに手渡してやりたい

結局のところ、引き出しが3つか4つぐらいしかない。時々ほかの引き出しを開けるけど材料は同じ。そこから引っ張りだしたものに、気に入られそうな味付けをして発表しているだけ。

プロならば与えられたページ数で、描きたいテーマを描ききらなければならない。ページ数が足りなくなるというのは、技術が未熟なんです。

「これでどうだ」って意識的にやっちゃうと、もう絶対に当たらないですね

たった一個の土偶や捨てられた貝殻のひとつから、百千のバラエティに富んだ古代史が読み取れる。

技術的なことよりも、日本の映画人になによりも欠けているのは、「アイデア」。

ファンタジー作品は、論理的に解釈されるべきものではない。

ぼくがマンガを見て美しいと思う要素の中に、空白の美しさというものがある。

子供の夢が限りなく伸びるように、子供のための作品もいつも進歩を続けなくてはならない。未知への探求心と得たものに対する驚異。このふたつを的確にとらえた作品を描くことが、私たちの夢です。

昔から人間は3つの夢を持っている。ひとつは空を飛ぶこと。ふたつめは変身すること。もうひとつは動物と対話すること。この要素を満たすものをマンガに描くと、必ず当たる。

x自分の家のすぐそばにある原っぱでくり広げられる小さな地獄の数々は、それでもタフに生き抜くことの喜びを教えてくれました。

もし火星とか木星あたりに生物がいることがわかった時にそこでひとつの生命体同士の連帯感みたいなものが、地球人に生まれてくるんじゃないか。

少なくとも僕にとっては偉大であり、誇るべき人であり、世の数億の女性とは、別格の人なのである。

いろんな街の路地裏には、さまざまな人生の味気がしめこんでいる。

ぼくは泣いたんですよ。あんなに心の底から泣けた日はなかった。

30分も眠るとつらくなるから、10分で起こしてください。

締切りなしの作業なら思い切り楽しい仕事になるだろうが、おそらくまったく進行しないに違いない。

ぼくは人のやらないことを、やりたがる欲があるんです。そして人にマネさせるのが楽しい。

やたらに人の首が飛んだり、手がとんだり、血が流れたり、そういったものを果たして、子供に見せるべきなのか。私は絶対反対なんです。

親の暴力が一概に悪いとは決して言わないが、子供が納得する暴力でなければならない。子供が親の予想以上に高い判断力を持っている事を、まずは理解しなくてはいけない。

医学の「進歩」も、自然破壊の一種かもしれない。

生活とか生存に困難な場所に生きる生物ほど、生活力・繁殖力への渇望が強くなる。人類の存亡が問われるような時、大変な数の人間が、超能力を発揮できるんじゃないか。

今日素晴らしいアイデアを思いついた!トイレのピエタというのはどうだろう。

僕は画を描いているんじゃなくて、ある特殊な文字で話を書いているんじゃないかという気がする。

水爆を見たまえ…。あれは原子力の完成芸術だが、人を殺すほか役に立たないぜ。

この世界は読者に飽きられれば、いかに大家であろうとキャリアがあろうと、お終いなのである。

今世紀の芸術作品といわれるものは、たいてい圧政や迫害の中から、レジスタンスとして生まれてくる。

漫画ってのは誰かに読んでもらわないと意味がないんだよ。

これで最大の競争相手がいなくなったと思うと心底ほっとした。僕は・・・僕はなんて汚らわしい人間なんだろう!

あなたの漫画くらいのことは僕はいつでも描けるんですよ。

三十年たって振り返りもされない建築はまずいと思うんです。漫画だって三十年たっても読まれなけりゃ本物じゃないと思ってるんです。

若者にとっては悲劇的な時代ですよ、青春を闘っていく対象がないということは

大きくなってからは、少なくとも二つの希望を持ち、二つのことを続けることです。いろいろな条件で一つが挫折することになってももう一つは残ります。子供から大人になるとき、社会に出るときなど、人生の選択をするときがかならずあります。そのときに選べるものがあることは、本当にしあわせなのです。一つしか進むべき道がないというのもいいのですが、道が広いほうがより自分に向いた道を見つけやすいとぼくは思います。

マンガ家にモラルはいらない。批判精神だけあればいい。

自分の絵が消しゴムをかけても消えない。その時の快感たるや凄かった。 2手塚治虫の名言

権力や圧力の庇護があって、マンガ家はなにができようか。

20代の時は無我夢中で遮二無二描き、30代の時はかなりプロ意識をもって描き、40代にはマンガ世代の心理を模索しながら描きました。

経営者としては、確かに負けたかもしれない。でもマンガ家としては、何も失っていない。

ぼくは読者の人気投票に怯えてるんです。ベスト10、というよりベスト3に入ってなきゃならないんです。でないと仕事にも、それにプライドにも関係してくるわけでね。

ぼくがはっきり胸を張って、創造したといえるのは、マンガに悲劇の要素を持ってきたということ。

オヤジの役目というのは、その生きざまを子供に見せてやることだと思う。子供がオヤジの行動に感動すれば尊敬するだろうし、尊敬しないまでも条件反射的に、その行動をなぞっていくものだろうと思う

幼い子供が怒られるようなことをしでかした場合、それが不器用なための過ちなのか、未知への探求欲のためなのか、破壊本能のためなのか、完全な悪意によるものなのか、大人は知る必要がある。

商売人になってほしくない。金はないけど、その中で、本当の歓びをわかってもらいたい。

現在の日本の教育ほど、うわべは百花繚乱の様相を呈しながら、実は根なし草の教育はない。

子供は、大人の真剣なメッセージを待っているし、また十分に受け止める感受性もあります。

子供たちが肉体的・精神的に弱くなったのは、社会のせいでも、学校のせいでもない。ひたすら家庭の、親の責任である。

アトムは信念を持って行動し、決してあきらめたりしない。時には、どう考えても勝ち目のなさそうな相手にもぶつかっていく。アトムは自分の中にある「子供」そのもののイメージであり、同時に願いでもある。

誰でもやがては死んでいくこと。寿命には限りがあること。一生の間に精一杯の生活をすること。そして他人の生命をおかさないこと。

なにか謎があって、その謎を調べないと気がすまないという気持ち。この好奇心を持ち続けている限り、人間は生き甲斐を感じるのではないか。

国際的に通用しないエンターテイメントは、子供に対してマイナス以外の何物でもない。

根底にあるものは、人間への、地球への愛です。愛こそ、マンガで作り出せる、メッセージの根元でなければならない。

我々はこの膨大な情報量を、全部飲み込むのではなく、どれが自分に必要かを判断する、テクニックを身につけなければならない。

少なくとも人間の身体の、どこにどういう筋肉があって、どう動くか、という解剖学的な知識までは知っておいてほしい。

駆け出しのマンガ家は、絵も拙く、表現も生硬だが、感覚だけは強烈な武器となる。

家庭の温かな雰囲気は敏感に作品に出るものだ。家庭が暗いと楽しいものが描けないし、作品が荒れる。

徳川家康ではありませんが、待ってたほうがいいと思うようになりました。ぼくはもう4、5回そういう時代を繰り返してきてね、結局そういう結論に達したの。じっと静観してるんですよね。状況はまた変わってきますよ。

本当の「ストーリー」というのは、ドラマの起伏とその中の、人生観が描かれてなければならない。

子供の空想ほど、ファンタスティックな世界はない。それは不条理が当たり前の世界だから。

マンガというものは、もっと無責任でいいと思う。そこまでマンガを深読みすることないと思うんですよ。イデオロギーに沿って描いたって、絶対に面白いものは生まれない。

ぼくという男は、感動した映画なり小説なりを、恥も外聞もなく自作に組み込んでしまう、悪いクセがある。

バリエーションとしてのマンガは、その時その時の花みたいなもので、どんどん咲き代わっていく。しかし、樹そのものは枯れません

「変形・省略・誇張」という3つが、落書きの要素であると同時に、マンガの要素である。

図形だと思うんです。絵じゃないんだとね。マンガは象形文字に類する記号だと確信した途端、様々な疑問がすべて解けた。

作家は無個性のほうが長続きするんですよ。ひとつの鋳型に入れられちまうと、逆にそれに合わせなきゃいけないような気になってしまう。

僕は昔、一年に三百六十五本、映画を観ることに決めていた。

大人の目から見たら、わかりきったことと思われようが、一番大事だと感じるものを、メッセージとして送り続けてきたつもり。

人間がどのように進化しようと、文明が進もうと、自然の一部であることには変わりはない。

自然淘汰の法則に、人間も従わざるをえない。それはもう宿命だということ。

作られた自然に、虫たちをわざわざ持ってこようなんていうのは嫌いです。虫のほうから自然に寄ってくるような空間でなければ、絶対ダメだと思います。

「正義」の名のもとに、国家権力によって、人々の上に振り下ろされた凶刃を、ぼくの目の黒いうちに記録しておきたい。

送り手によって都合のいいように、情報は歪められ得る。

空想だけは、空腹や金と無関係にできる、唯一のものだった。

人を信じよ、しかし、その百倍も自らを信じよ。

漫画に必要なのは風刺と告発の精神である。

後世に残る作品をなどと気張らず、百歳まで描きたい。

物語はここから始まるのだ。

となりの部屋へ行くんだ。仕事をする。仕事をさせてくれ。

僕は諸星さんの絵だけは描けない。

漫画家は、3つの武器を持っていなければならない。

アニメは万人に向ける、メッセージでありたい

ぼくは「火の鳥」を、日記だと思ってるわけ。

この漫画のどこが面白いんだ、教えてくれ。

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