高杉晋作

高杉 晋作の名言集

江戸時代後期の長州藩士。

幕末に長州藩の尊王攘夷の志士として活躍した。

奇兵隊など諸隊を創設し、長州藩を倒幕に方向付けた。

諱は春風(はるかぜ)。 通称は晋作、東一、和助。字は暢夫(ちょうふ)。 号は初め楠樹、のちに東行(とうぎょう)と改め、東行狂生、西海一狂生、東洋一狂生とも名乗った。ほかに些々などがある。

変名を谷 潜蔵、谷 梅之助、備後屋助一郎、三谷和助、祝部太郎、宍戸刑馬、西浦松助など。

のち、谷 潜蔵と改名。

人間、窮地におちいるのはよい。意外な方角に活路が見出せるからだ。しかし、死地におちいれば、それでおしまいだ。だから、おれは困ったの一言は吐かない。

戦いは一日早ければ一日の利益がある。まず飛びだすことだ。思案はそれからでいい。

世間の人々は名誉や利益を追って走っている。そんな時代に利益や名誉を捨てる僕のようなものが他にいるだろうか。僕はたとえ牢で死んでも恨みはない。

シャクトリムシのように身を屈するのも、いずれは龍のように伸びるためだ。そのためには、奴隷になっても、下僕になっても構わない。

同志と共に国を作ろうとしている。曲がった国が真っ直ぐになるのはいつか分からない。その苦労は死んでからじっくりと味わおう

人間というのは困難は共にできる。しかし富貴は共にできない。

苦しいという言葉だけはどんなことがあっても言わないでおこうじゃないか。

「朝に人としての道を悟ることができれば、その晩に死んでも悔いはない」という事こそが人の道である。人としての努力をすることもなく、ただ死に向かうのは人の道ではない。

生きるか死ぬかは時機に任せよう。世の人が何と言おうと、そんなことは問題ではないのだ。

負けて退く人をよわしと思うなよ。知恵の力の強きゆえなり。

古くから天下のことを行う者は、大義を本分とし、決して他人に左右されることなく、断固として志を貫く。禍福や死生によって気持ちが揺れ動いたりするものではない。

友人の信頼の度合いは人の死や緊急事態、困難の状況の時に分かる。

直言実行、傍若無人、死を恐れない気迫があるからこそ、国のために深謀深慮の忠も尽くせるのだ

天賦のかんによって、その場その場で絵をかいてゆけばよい。

天地も人も皆気のみである。気を養えば、人間あとは行動に移すのみだ。

先が短いなら短いなりに僕は面白う生きたい。派手な打ち上げ花火を打ち上げて、消えていく…それが高杉晋作の生き方ですき。

国のために家が潰れても、家などは軽いものである。世間が僕を狂っているといっても構わない。

少年の頃、読んだ本に「学問を成すなら世間から利口と思われる人になるな。世間から愚者と思われる人になれ。」とあったので世間から愚者と思われる人になろうと僕は願った。

三千世界の鴉を殺し、ぬしと朝寝をしてみたい。

いまの場合、一里行けば一里の忠を尽くし、二里行けば二里の義をあらわす。尊王の臣子たるもの一日として安閑としている場合ではない。

どんな事でも周到に考えぬいたすえに行動し、困らぬようにしておく。それでもなおかつ窮地におちた場所でも「こまった」とはいわない。困ったといったとたん、人間は知恵も分別も出ないようになってしまう。

太閤も天保弘化に生まれなば、何も得せずに死ぬべかりけり。

後れても後れてもまた後れても誓ひしことを豈忘れめや。

死だなら釈迦と孔子に追いついて道の奥義を尋ねんとこそ思へ

今さらになにをかいわむ遅桜故郷の風に散るぞうれしき先生を慕うてようやく野山獄。

友の信を見るには、死、急、難の三事を以て知れ候。

強い百万の軍勢を恐れなくても、弱い一人の民は恐れるのが武士の本領である。

国のことを考え、自分のことは考えなかった。しかしついに牢に入れられてしまった。世間の人が何と批判しようと構わない。ただ真心を持って静かに神と向かい合うだけである。

茫然と生きてきたことが今となっては恥ずかしい。静かに座って慎んで将来を考える。そんな時に本を読んでみる。すると国に尽くす心が消えていないことが分かった。

僕の志は国家を安泰にし、君主の気持ちを安心させることにある。そのために昼も夜も努力する。自分が非難を受けることを考える暇などないのだ

百万の大群、恐るるに足らず!恐るるべきは、一人一人の心なり!

英雄が出るためには、時代が準備されていなければならない。

死後に墓前にて芸妓御集め三弦など御鳴らし御祭りくだされ。

翼あらば千里の外も飛めぐりよろづの国を見んとしぞおもふ。

人は艱難はともにできるが、富貴はともにできぬ。

雑念をやめ静かなときも動くときも心を同じにするのがよい。何かひとつだけのことを考えるならば雑念が自然となくなり、素早く実行できる。

「これぐらい大したものではない」と心で唱える。難しくて我慢できないことをこの方法で乗り切る。これは自分の中の神を見つめる心を研ぐ方法である。

支那人がことごとく外国人に使役され、英仏人が町を歩けば清人はみなよけて通る。それは清が英仏の属国になっているからで、日本人も心すべきだ。

今は一里行けば一里の忠、二里行けば二里の義を尽くすとき。志士は一瞬でも立ち止まってはならぬ。

おもしろきこともなき世をおもしろく住みなすものは心なりけり。

心すでに感ずれば、すなわち、口に発して声となる。

人は人吾は吾なり山の奥に棲みてこそ知れ世の浮沈。

苦労する身は厭わねど、苦労し甲斐のあるように。

まさにこれ邦家。まさに回天回運の策を立てんとす。

自惚れて世は済みにけり年の暮れ。

真の楽しみは苦しみの中にこそある。

人は旧を忘れざるが義の初め。

過ちを改めれば、それは過ちではないのだ。

先生をおもってようやく野山獄。

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